在日コリアン人権運動の理論構築について(15)

4.6 在日朝鮮人が日本国籍を取得する意義 ア.生きる権利は国籍に優先する 長い間、在日朝鮮人にとって韓国籍、朝鮮籍は民族の証であった。換言すれば、韓国、北朝鮮の国民であることが朝鮮民族であることの証であり、国家と民族は分かちがたく結びついていた。帰…

在日コリアン人権運動の理論構築について(14)

4.4 国籍取得特例法案反対論の検証 国籍取得特例法案に対して在日朝鮮人団体あるいは有識者の大半が反対の意見表明を行った。各種団体、個人の反対意見の理由はおおむね以下のとおりである。 (1)参政権法案をつぶすことを目的にしている。 (2)当事者が不在の…

在日コリアン人権運動の理論構築について(13)

第4章 在日コリアン人権運動の停滞要因 4.1 参政権運動と日本国籍 1970年に始まった民族差別撤廃運動は、1985年指紋押捺拒否運動から1991年日韓協議に向けて、最も高揚した。その後、参政権運動が本格的に展開され。1995年2月最高裁が在日外国人の地方参政権が憲…

在日コリアン人権運動の理論構築について(12)

3.7 2国間外交から国際的枠組みへ 今日、国籍差別を規定する国籍条項は、援護年金、参政権など残りわずかとなった。これら成果を振り返って、日韓の2国間協議によって得られたものと、民族差別撤廃運動が獲得したものとを比較したとき、結果は歴然としている。…

在日コリアン人権運動の理論構築について(11)

協定の内容が明らかになると、在日朝鮮人の評価は大きく分かれた。総連側は、協定の内容が不十分どころか、むしろ危険であると宣伝し続けた。これに対して、民団側の評価は二つに分かれた。不十分な点はあるが、従来よりはましであり、相対的に前進であると評価し、引…

在日コリアン人権運動の理論構築について(10)

3.5 日韓法的地位協定への失望 北朝鮮への帰国者が極端に減少した4年後の1965年、日本と韓国が解放後初めて国交を樹立するための条約、日韓基本条約(以下 条約)が締結された。条約では朝鮮半島における唯一の合法政府が大韓民国であることが定められた。これ…

在日コリアン人権運動の理論構築について(9)

3.4 祖国志向論の試みとしての北朝鮮帰国運動 1959年12月に開始された帰国事業は、総計9万余の在日朝鮮人を北朝鮮へ送り出した。帰国した在日朝鮮人を待ち受けていたものは、虐待といっても過言ではない生活苦と政治的弾圧だった。 北朝鮮への帰還事業…

在日コリアン人権運動の理論構築について(8)

3.3 祖国に従属した既成組織の権益運動の実相 総連、民団は内政不干渉の路線を保持しつつも、在日朝鮮人の生活権の問題に一切取り組まなかったわけではない。しかし、それは在日朝鮮人を組織するための最低限の範囲内に限られていたといっても過言ではない。 …

在日コリアン人権運動の理論構築について(7)

第3章 祖国志向論から在日志向論へ―民族差別撤廃運動の誕生― 3.1 抑制された民族差別撤廃運動 日本にはさまざまな被差別マイノリティが存在する。障害者、女性、被差別部落、ウタリ、HIV患者、外国人等。これらのマイノリティに対する差別の形態は実に多様であり、その歴史も…

在日コリアン人権運動の理論構築について(6)

2.8 民闘連運動への参加と運動の拡大 郵便外務職の国籍条項撤廃(1984年)を契機に、近畿の各郵便局で民族差別落書きが多発したため、近畿郵政局から全職員向けの啓発冊子の作成を依頼された。即座に快諾したが、運動体の名前では納入できないといわれ、ま…

在日コリアン人権運動の理論構築について(5)

2.5 部落解放運動との出会い 高校への進学は早くから決めてはいたが、父が病気になったことから、定時制に進学することになっていた。ところが、高校受験を間近に控えたころ、担任の先生が突然家庭訪問し、母に対して、私を昼間の高校に進学させるように勧めるの…

在日コリアン人権運動の理論構築について(4)

2.3 歪んだ民族観の形成 小学校の1年生を皮切りに、差別を幾度となく体験するようになってから、何故朝鮮人は差別されるのか、子どもなりに考えるようになった。結論は朝鮮人自身に差別される原因があるからだと考えた。周囲の日本人たちから「朝鮮人は…

在日コリアン人権運動の理論構築について(3)

第2章 私の生い立ちと民族差別撤廃運動 2.1 両親のこと 私の両親が生まれたのは、現在の韓国慶尚北道浦項市で、当時の地名は迎日郡である。父は1914(大正3)年に出生したが、そのころ朝鮮はすでに日本の植民地であり、両親ともに日本国民(帝國臣民)と…

在日コリアン人権運動の理論構築について(2)

在日コリアン人権運動の理論構築について第1章 在日コリアン人権運動停滞の基本的要因 1.1 国籍取得特例法案と運動の停滞 1970年代に始まった、在日コリアンに対する民族差別撤廃運動は、1980年代に最も高揚し、多くの成果を挙げた。この運動は…

在日コリアン人権運動の理論構築について(1)

修士論文「在日コリアン人権運動の理論構築について」 【目次】 はじめに 第1章 在日コリアン人権運動停滞の基本的要因 1.1 国籍取得特例法案と運動の停滞 1.2 新たな同化論「多文化共生論」と運動の停滞 第2章 私の生い立ちと民族差別撤廃運動 2.…

関東大震災時の朝鮮人虐殺・亀戸事件《資料 しんぶん赤旗》

2016特報 平成28年9月2日軍隊、警察、扇動された自警団が実行戒厳令下での国家犯罪―「緊急事態条項」の危険示す 1923年9月1日に起きた関東大震災のとき、戒厳令による軍の支配下、多くの朝鮮人、中国人の虐殺、社会主義者の殺害などが軍隊や警察、流言に…

白鳥事件…現代史の証言(3)

川口氏から直接お聞きした内容を含めて、終章「私と『白鳥事件』」に述ベられている氏の「日本追放」までの経過を、簡単に整理してみよう。 川口氏は1921年、北海道上川郡上士別村に農家の四男として生まれ、小学校高等科を卒業後、農業に従事していたが、戦時中一時横…

白鳥事件…現代史の証言(2)

57年の夏、川口夫妻は人民大学分校にいた200人余の日本人と共に、重慶に移動した。書名の『流されて蜀の国へ』の旅である。7日間の汽車の旅ののち、重慶に着き、その郊外の歇台子にある「中共中央第七中級党校」に送られる。 本書の第二章「重慶市歇台子で」と第三章…

白鳥事件…現代史の証言(1)

「現代史への一証言ーー川口孝夫著『流されて蜀の国 へ』を紹介する」 (『労働運動研究』1999年6月 札幌学院大学名誉教授 中野徹三) 〔目次〕 1、白鳥事件党員の犯行を裏付け 元共産党軍事部門幹部が証言 2、「大躍進」から「文革」までを体験 3、誰の罪か?―「追放…

関東大震災・朝鮮人中国人虐殺事件・人権救済申立・勧告(5) 日弁連

第5章 再発防止の重要性1 以上検討してきたように、軍隊による国の直接的な虐殺行為はもとより、内務省警保局をはじめとする国の機関自らが、朝鮮人が「不逞行為」によって震災の被害を拡大しているとの認識を全国に伝播し、各方面に自警の措置をよびかけ、民衆に…

関東大震災・朝鮮人中国人虐殺事件・人権救済申立・勧告(4) 日弁連

2 自警団による虐殺に関する国の責任 自警団による朝鮮人虐殺の事実は、民間人による犯罪行為ではあるが、その背景と原因を精査するならば、国の責任に言及せざるを得ない。(1)朝鮮人に関する虚偽事実の流布(流言飛語) そもそも、朝鮮人が放火、爆弾所持・投…

関東大震災・朝鮮人中国人虐殺事件・人権救済申立・勧告(3) 日弁連

第4 自警団による虐殺 1 事実 関東大震災における朝鮮人虐殺の、相当な部分は民間人によるものであった。 民間人による虐殺行為は、いわゆる自警団によるものであったことは、以下のとおり、様々な資料の示すとおりである。(1)新聞報道 当時の新聞報道記事に…

関東大震災・朝鮮人中国人虐殺事件・人権救済申立・勧告(2) 日弁連

第3 軍隊による虐殺 1 認定と根拠 (1)認定 被害者の人数を確定するには至らないが、関東大震災において多数の朝鮮人・中国人が軍隊によって殺害された。 (2)認定の根拠 従来、軍人による朝鮮人虐殺については、被害者側の目撃供述、その伝聞、元兵士による…

関東大震災・朝鮮人中国人虐殺事件・人権救済申立・勧告(1) 日弁連

日弁連総第39号 2003年8月25日 内閣総理大臣 小泉 純一郎 殿 日本弁護士連合会 会長 本林 徹 勧 告 書 当連合会では、申立人文戊仙(ムンムソン)による関東大震災時における 虐殺事件に関する人権救済申立事件について調査した結果、下記のとおり勧告します。 記第…

油絵[マチスのダンスの前で]

踊る女体は美しい! 躍動する女性の肉体は美しいです秊 油絵[マチスのダンスの前で] 一つのモチーフを反復・補充・対照の繰り返しで一つの画面を構成! 私はこのような画面構成の方法を舞踊の振付家の方法から学びましたf^_^; 画面中央には有名な[マチスのダンス]を画中画とし…

関東大震災と朝鮮人中国人虐殺・資料編

【資料目録】 第1 関東大震災の罹災と虐殺の発生について資料第1の1 現代史資料(6)『関東大震災と朝鮮人』みすず書房1973年 資料第1の2『関東大震災朝鮮人虐殺問題関係史料?U朝鮮人虐殺関連官庁史料?X』緑陰書房1991年 資料第1の3『関東大震災政府…

熊本地震・韓国内の反応について 朝鮮日報日本語版より

【記者手帳】熊本地震、韓国人に問われる「真の克日の道」 2016.04.19[それでも隣国・日本を助けるのが先だ] [ネット記事の下には中傷コメント] [政府は迅速対応チーム4人派遣しただけ] [隣国のため最小限の措置は取らねば] 毎日新聞の米村耕一ソウル支局長…

関東大震災時の朝鮮人虐殺・亀戸事件

2016年9月2日(金) しんぶん赤旗・2016特報より 軍・警察、扇動された自警団が実行 戒厳令下での国家犯罪―「緊急事態条項」の危険示す 1923年9月1日に起きた関東大震災のとき、戒厳令による軍の支配下、多くの朝鮮人、中国人の虐殺、社会主義者の殺害など…