2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

在日コリアン人権運動の理論構築について(21)

結論 民族差別撤廃運動が停滞した基本的要因は、支配権力の支配と強制、それにもとづく既得権の肥大、多数派国民による少数派国民に対する差別と排除という基本的構造にメスを入れないことに根本問題がある。この構造は「私発見」という多文化共生論によってつねにご…

在日コリアン人権運動の理論構築について(20)

第6章 具体的課題6.1 運動体の財政確保―企業からの資金提供について― 民族差別撤廃運動を展開し、闘争に勝利するには、当然のことながらそのための財源が必要である。組織構成員の会費で賄う場合もあるが、会費で事務所経費、人件費を賄うことはできない。たし…

在日コリアン人権運動の理論構築について(19)

5.2 多文化共生論の登場 多文化共生は当初、共生という単独用語で使用され、主として生物学の用語として存在していた。1980年代から外国人労働者受け入れ問題の議論を契機に、社会問題において使われ始め、その後マイノリティ問題全般に広がった。新聞紙上に登場…

在日コリアン人権運動の理論構築について(18)

5.2 多文化共生論の登場 多文化共生は当初、共生という単独用語で使用され、主として生物学の用語として存在していた。1980年代から外国人労働者受け入れ問題の議論を契機に、社会問題において使われ始め、その後マイノリティ問題全般に広がった。新聞紙上に登場…

在日コリアン人権運動の理論構築について(17)

第5章 多元化民主主義か多文化共生か 5.1 問題意識 1995年民闘連は、4年にわたる改革論議を経て、組織改革を断行した。民闘連をいったん解散し、即日在日コリアン人権協会を結成したのである。民闘連の解散にあたっては、民闘連の一切の業務を在日コリアン人権協…

在日コリアン人権運動の理論構築について(16)

オ.少数派国民(コリア系日本人)として生きる 在日コリアンが日本国籍を取得すれば日本の憲法を尊重する義務を負う。反対論者が主張する日本国籍による同化とは、帝國憲法下で在日コリアンが主権者たる天皇の下の臣民であったという歴史的経験に基づくもの…

在日コリアン人権運動の理論構築について(15)

4.6 在日朝鮮人が日本国籍を取得する意義 ア.生きる権利は国籍に優先する 長い間、在日朝鮮人にとって韓国籍、朝鮮籍は民族の証であった。換言すれば、韓国、北朝鮮の国民であることが朝鮮民族であることの証であり、国家と民族は分かちがたく結びついていた。帰…

在日コリアン人権運動の理論構築について(14)

4.4 国籍取得特例法案反対論の検証 国籍取得特例法案に対して在日朝鮮人団体あるいは有識者の大半が反対の意見表明を行った。各種団体、個人の反対意見の理由はおおむね以下のとおりである。 (1)参政権法案をつぶすことを目的にしている。 (2)当事者が不在の…

在日コリアン人権運動の理論構築について(13)

第4章 在日コリアン人権運動の停滞要因 4.1 参政権運動と日本国籍 1970年に始まった民族差別撤廃運動は、1985年指紋押捺拒否運動から1991年日韓協議に向けて、最も高揚した。その後、参政権運動が本格的に展開され。1995年2月最高裁が在日外国人の地方参政権が憲…

在日コリアン人権運動の理論構築について(12)

3.7 2国間外交から国際的枠組みへ 今日、国籍差別を規定する国籍条項は、援護年金、参政権など残りわずかとなった。これら成果を振り返って、日韓の2国間協議によって得られたものと、民族差別撤廃運動が獲得したものとを比較したとき、結果は歴然としている。…

在日コリアン人権運動の理論構築について(11)

協定の内容が明らかになると、在日朝鮮人の評価は大きく分かれた。総連側は、協定の内容が不十分どころか、むしろ危険であると宣伝し続けた。これに対して、民団側の評価は二つに分かれた。不十分な点はあるが、従来よりはましであり、相対的に前進であると評価し、引…

在日コリアン人権運動の理論構築について(10)

3.5 日韓法的地位協定への失望 北朝鮮への帰国者が極端に減少した4年後の1965年、日本と韓国が解放後初めて国交を樹立するための条約、日韓基本条約(以下 条約)が締結された。条約では朝鮮半島における唯一の合法政府が大韓民国であることが定められた。これ…

在日コリアン人権運動の理論構築について(9)

3.4 祖国志向論の試みとしての北朝鮮帰国運動 1959年12月に開始された帰国事業は、総計9万余の在日朝鮮人を北朝鮮へ送り出した。帰国した在日朝鮮人を待ち受けていたものは、虐待といっても過言ではない生活苦と政治的弾圧だった。 北朝鮮への帰還事業…

在日コリアン人権運動の理論構築について(8)

3.3 祖国に従属した既成組織の権益運動の実相 総連、民団は内政不干渉の路線を保持しつつも、在日朝鮮人の生活権の問題に一切取り組まなかったわけではない。しかし、それは在日朝鮮人を組織するための最低限の範囲内に限られていたといっても過言ではない。 …

在日コリアン人権運動の理論構築について(7)

第3章 祖国志向論から在日志向論へ―民族差別撤廃運動の誕生― 3.1 抑制された民族差別撤廃運動 日本にはさまざまな被差別マイノリティが存在する。障害者、女性、被差別部落、ウタリ、HIV患者、外国人等。これらのマイノリティに対する差別の形態は実に多様であり、その歴史も…

在日コリアン人権運動の理論構築について(6)

2.8 民闘連運動への参加と運動の拡大 郵便外務職の国籍条項撤廃(1984年)を契機に、近畿の各郵便局で民族差別落書きが多発したため、近畿郵政局から全職員向けの啓発冊子の作成を依頼された。即座に快諾したが、運動体の名前では納入できないといわれ、ま…

在日コリアン人権運動の理論構築について(5)

2.5 部落解放運動との出会い 高校への進学は早くから決めてはいたが、父が病気になったことから、定時制に進学することになっていた。ところが、高校受験を間近に控えたころ、担任の先生が突然家庭訪問し、母に対して、私を昼間の高校に進学させるように勧めるの…

在日コリアン人権運動の理論構築について(4)

2.3 歪んだ民族観の形成 小学校の1年生を皮切りに、差別を幾度となく体験するようになってから、何故朝鮮人は差別されるのか、子どもなりに考えるようになった。結論は朝鮮人自身に差別される原因があるからだと考えた。周囲の日本人たちから「朝鮮人は…

在日コリアン人権運動の理論構築について(3)

第2章 私の生い立ちと民族差別撤廃運動 2.1 両親のこと 私の両親が生まれたのは、現在の韓国慶尚北道浦項市で、当時の地名は迎日郡である。父は1914(大正3)年に出生したが、そのころ朝鮮はすでに日本の植民地であり、両親ともに日本国民(帝國臣民)と…

在日コリアン人権運動の理論構築について(2)

在日コリアン人権運動の理論構築について第1章 在日コリアン人権運動停滞の基本的要因 1.1 国籍取得特例法案と運動の停滞 1970年代に始まった、在日コリアンに対する民族差別撤廃運動は、1980年代に最も高揚し、多くの成果を挙げた。この運動は…

在日コリアン人権運動の理論構築について(1)

修士論文「在日コリアン人権運動の理論構築について」 【目次】 はじめに 第1章 在日コリアン人権運動停滞の基本的要因 1.1 国籍取得特例法案と運動の停滞 1.2 新たな同化論「多文化共生論」と運動の停滞 第2章 私の生い立ちと民族差別撤廃運動 2.…