在日コリアン人権運動の理論構築について(8)

3.3 祖国に従属した既成組織の権益運動の実相
 総連、民団は内政不干渉の路線を保持しつつも、在日朝鮮人の生活権の問題に一切取り組まなかったわけではない。しかし、それは在日朝鮮人を組織するための最低限の範囲内に限られていたといっても過言ではない。
 例えば、中小企業の税金に関しては、日本の税務当局と頻繁に交渉し、商工人の経営権を守ってきた。しかし、これは総連の、経済的、人的屋台骨ともいうべき在日本朝鮮人商工会(商工会)の組織を守ることに目的があった。なぜなら、中小企業者の権利を守る闘争はあっても、就職差別撤廃のために日本の大企業と闘った例はない。これは、商工会の会員にとって、在日朝鮮人の若者は、なくてはならない労働力であったからであり、就職差別撤廃は在日商工人の利益にはならなかったからである。さらに「在日朝鮮人の中核的本質は商工人である」という金日成発言に見られるように、北朝鮮にとっては在日朝鮮人の労働者より、祖国に貴重な外貨をもたらす商工人の方がはるかに有益な存在であったからである。ちなみに、1970年の日立闘争に始まる在日朝鮮人の民族差別撤廃運動を当初、朝鮮総連は同化への道行きとして厳しく批判したが、それ以前に自ら取り組んでいた日本の税務当局との闘いは、決して同化と批判することはなかった。祖国に貢献しうるか否かが、同化の判断基準であった。
 同化とは、単に日本人化を意味するものではない。日本に永住すれば、言語、風習が日本化するのは避けがたい現象である。現に、総連の幹部であっても、日本食になじみ、日本語を流暢に使っているのである。同化の本質は、文化の問題ではなく、国家との関係である。植民地時代の同化政策の目的は、朝鮮人の文化を日本化することではなく、それは手段であり、目的は植民地支配に従順な朝鮮人に仕立て上げることにあった。つまり、国家の支配に従順な人民に教育することこそが同化政策の本質なのである。
 翻って、解放後の在日朝鮮人にとって、日本、北朝鮮、韓国いずれの国家であれ、その支配に従順に従うこともまた同化である。国家と人民の利害が完全に一致することはありえない。国家はときとして、人民を暴力装置によって抑圧し、弾圧する。それもまた国家の本質なのである。それは、自国であれ、他国であれ本質的において変わることはない。
 北朝鮮は、総連組織を通じて、同化が植民地時代の日本特有のイデオロギーとの幻想を振りまきながらも、他方で解放後の在日朝鮮人を引き続き自らの手による同化(支配)の軛の下に置いたのである。
 同様に民族学校もまた、総連にとっての最大の人的資源であり、かつ総連社会を構成する基盤でもある。民族学校を守る闘いは、民族教育権を守る闘いとして、総連活動の中心的課題として位置づけされてきた。しかし、民族学校卒業生の就職先は、ほぼ朝鮮総連組織または総連系の同胞企業に限定されており、日本企業への就職先を確保するための取り組みは、これまで一切行ってこなかった。また教育内容も、祖国に帰って役立つ人材づくりを目的としていたため、北朝鮮の教育に合わせたため、日本社会で生き抜く能力を身につけることはできなかった。
 日本人に同化させないことが表向きの理由であるが、実際には商工会に属する総連系企業の人材確保や日本の高校。大学への進学を阻止するため、外界(日本社会)に出ても生きることができないよう、仕立て上げたに過ぎない。最近は、教育内容も柔軟に改変したといわれているが、祖国のためでなく、個人の自由と自己実現のために目的そのものを転換することが急務の課題である。
 今日、民族学校の生徒が激減し、各地で統廃合を余儀なくされてきた原因は、ここにある。
 さらに社会保障の国籍条項について、総連は取り組んでこなかった。特に国民年金は、日本で老後を送ることが前提であるため、むしろ消極的でさえあった。日本で安定した生活を送ることは、祖国への関心を薄めることにつながるとの立場であったため、年金さえもが、同化の対象となった。高齢を迎えた多くの無年金高齢者が不安定な老後を送る現実に対して、総連は無責任ではありえない。
 祖国志向論とは、在日朝鮮人の解放を本国に委ねることを基本とし、本国が統一できるよう、その全精力を傾注することが、在日朝鮮人の役割であるとする考えである。この考え方が、少なくとも1955年の路線転換以降、今日に至るまで、在日朝鮮人の民族運動の主流を占めてきた。主として、北朝鮮を支持する総連サイドは、北朝鮮を軸とした統一を目指してきた。他方、韓国を支持する民団サイドは、逆に韓国を軸にした統一を求めてきた。さらに、韓国が軍事独裁政権下にあった時期には、韓国の民主化闘争への参画が在日朝鮮人の役割であると位置づけていた。
 これら、祖国志向論にはいくつかの思想的背景が存在する。第一には、人権は国家が人民に与えるものであるとする考えである。しかし、世界人権宣言に謳われているように、人権は人が生まれながらにして持っているものである。それを阻害する本質こそ国家である。人類の歴史は、人民が国家から人権を奪い返す闘いの歴史でもあった。
 にもかかわらず、解放後の在日朝鮮人が、祖国に自らを委ねたのは、36年間の植民地政策によって「国亡き民の悲哀」を経験したこと。つまり植民地支配に対する強烈な反発が、勢い極端な国家主義へと傾倒させたと考えられる。国亡き民の経験が、国家に対する幻想を肥大化させてきた結果である。
 対して、日本の戦後の社会運動が国家主義に対する反発から出発したこととは、全く逆の方向に向かった。これもまた、被差別者の中の被差別者に陥った要因の一つである。
 在日朝鮮人運動の根本的誤りは、自国であれ他国であれ、国家というものの普遍的本質を見誤った点にある。