在日コリアン人権運動の理論構築について(14)

4.4 国籍取得特例法案反対論の検証
 国籍取得特例法案に対して在日朝鮮人団体あるいは有識者の大半が反対の意見表明を行った。各種団体、個人の反対意見の理由はおおむね以下のとおりである。
(1)参政権法案をつぶすことを目的にしている。
(2)当事者が不在の中で作成された。
(3)過去に日本国籍を剥奪して差別をしてきたことの反省が見られない。
(4)援護年金、国民年金等は今から日本国籍を取得しても適用されない。
(5)民族教育、文化の保障措置がない。
(6)在日朝鮮人が同化、分裂する。
(7)日本国籍にすることによって、在日朝鮮人の歴史と存在が抹殺される。
(8)ニューカマーとの分裂を図るもの。
(9)帰化制度の延長にすぎない。
(10)日本国籍を取得しない者への差別が合理化され、参政権運動をはじめ民族差別撤廃運動に不利な環境が醸成される。
(11)感情的反発
(12)日本国籍を取得すれば、日本国に忠誠を誓うことになる。
 以下個別に検証する。
(1)参政権つぶしが目的であるとの批判は的を得ているといえる。政府与党は、参政権法案が実現しないとの見通しから、国籍取得特例法案を国会に提出しなかった。しかし、逆に言えば、在日朝鮮人団体の大半が国籍取得特例法案を支持しなかったことも原因のひとつである。当事者が求めない法案を、国会に提出しなかったとの理由で当事者が批判するには説得力にかける。そもそも政府与党は、好んで国籍取得特例法案を作成したわけではない。参政権運動と圧力があったから、それに対抗するために作成したのであり、換言すれば、法案は運動の成果でもある。
(2)当事者が不在の中で作成されたのは事実である。ただし、この法案に限ったことではない。議会に議員を選出できないことが根本原因であり、これまで発表された参政権法案が実現されたとしても地方議会の投票権に限定されており、国会での議論には参画できない。国籍取得特例法案に限らず、これまでも、そしてこれからも日本国籍がない以上、少なくとも国会での議論には参画できないのである。この批判は、却って日本国籍の必要性を結果として示している。
(3)過去の反省が見られないのも事実である。法案は在日朝鮮人の歴史に言及しているものの、その内容は明らかにしていない。しかし、反省がないのは、たしかに政府自民党の従来からの姿勢であるが、その問題と国籍取得は直接関係しない。むしろ日本国家として、在日朝鮮人に対する反省を促すためにも、当事者が国会において影響力を行使しなければならない。
(4)年金の不備について、これも国籍取得特例法案と直接関係がない。これも国会への影響力を行使する以外にない。別の問題である。
(5)民族教育、文化の保障については、いずれの国籍であろうとも必要な施策であり、日本国籍を取得したからといって、突然同化することはない。むしろ、議会に影響力を持ち、日本国民として要求した方が、世論への影響力は増すものと考えられる。少なくとも、韓国籍朝鮮籍を保持すれば自動的に民族的自覚が高まることはない。それは優れて教育の問題であり、そのような環境を整備するための政策こそが必要とされるのである。
(6)同化、分裂するとの批判も的を得たものとはいえない。在日朝鮮人が日本の政策に関与すること自体が同化であると評価することは間違いである。また、さまざまな政党に取り込まれることを分裂と評価するのも同じく間違いである。在日朝鮮人だからといってひとつの考えにまとまる必要はないし、多様性が認められるべきである。
(7)在日朝鮮人の歴史と存在が抹殺される、というのは特例永住資格朝鮮籍が、歴史性を証明しているという考えから生じている。しかし、国籍取得特例法案も歴史性を条文にうたっている。また、従来の国籍を保持したからといって、歴史性を保持できるものでもない。保持するためには優れて国籍以外の能動的作業―例えば在日朝鮮人の歴史館や教科書への記述など―が必要でありそのためにはやはり政治的力量が問われるのである。
(8)ニューカマーとの分裂を図るものとの批判は、むしろ在日朝鮮人の歴史性を否定することにつながる。外国人であってもそれぞれの歴史性と社会性に違いがある以上、ことなる扱いがなされて当然である。ニューカマーの人権は、ニューカマー自身の要求に基づいて闘われなければならない。在日朝鮮人がこれを代行することはできないし、またすべきでもない。
(9)帰化制度の延長に過ぎないとの批判。たしかに、制度としては帰化の枠組みの中にある。名称にも問題は残る。しかし、従来から問題にされた帰化の中身について、国籍取得特例法案はかなりの部分克服されている。不十分さは、国籍取得後に取り組むほうがむしろ得策ともいえる。50万人を割り込んだ在日朝鮮人のうち、年間の帰化許可者が1万人を越えている現実を直視すべきである。彼(女)らは、煩雑で屈辱的な帰化手続きを経てまで日本国籍を取得したのである。少なくとも、彼(女)らの負担を大幅に軽減するだけでも、国籍取得特例法案は意味があると考えるべきである。
(10)日本国籍を取得しない者への差別が合理化されることや民族差別撤廃運動に不利な状況が生じることは、たしかに懸念されることである。国籍取得特例法案が成立してもなお、日本国籍を取得しない者に対しては、差別されても仕方がないとの世論が高まることはありうる。しかし、それを理由に国籍取得特例法案を葬り去ることは別の問題である。例え不利な状況があろうともそれはそれとして闘うべきである。道はそれぞれである。日本国籍取得か参政権の国籍条項撤廃か、少なくとも、選択の自由は確保されなければならない。
(11)感情的反発。反対論の多くが、感情的反発に依拠していると考えられる。これは、特に在日1世、2世が、長年差別されてきた体験から生じる反発であり、その体験が強烈であればあるほど反発もまた根強いものとなる。従って、被差別体験が比較的少ない3世、4世は日本国籍に対する抵抗は、それほど強くはない。しかし、感情が必ずしも物事を正確に反映しているとは限らない。そもそも在日1・2世が、怒りを向ける対象は民族差別である。にもかかわらず、日本国籍に反発するのは、差別をしてきた者が日本人であり、日本人とは日本国籍を持つ者という図式に囚われているからである。差別をしたのは確かに日本人であるが、しかし、その本質は差別を生み出す日本社会の構造にある。差別は日本人にとっても不幸なことであり、決して日本人に利益をもたらすものではない。ここには、二つの誤解がある。第1に、国籍と民族を一体のものとして理解していること。国籍と民族は別であり、日本国籍を取得したからといって、日本人(大和民族)になるわけではない。むしろ国籍と民族があたかも一体であるかのように捉える、単一民族国家論こそが民族差別を生み出す元凶でもあり、これに呪縛された結果が、日本国籍イコール日本人という誤った観念である。
 第2に、差別の本質は日本人個々の言動に存在するのではなく、日本人と在日朝鮮人が対立することによって、分裂支配を容易にする社会のあり方にある。在日朝鮮人は、日本の解放前から後発した資本主義を急激に発展させるためのしずめ石としての機能を果たしてきた。解放後においてもその役割は基本的に変わることはなかった。
 問題は、このような科学的見地に立って民族差別を把握しているはずの在日朝鮮人研究者までもが、感情的反発に基づく反対論を展開していることである。真理を探究すべき立場にあり、かつ影響力の大きい彼らの責任こそ鋭く問われなければならない。
(12)日本国家への忠誠であるが、この反論も根拠にかける。一般の日本国民でさえ、日本の政治や国家のあり方、さらには天皇制さえをも否定する者が少なくない。在日朝鮮人日本国籍を取得したからといって、それが即座に日本の政治や国家のあり方に意義を唱えなくなる根拠はない。忠誠は個々人の思想に属するものであり、国籍取得とは関係がないのである。

4.5 日本国籍取得論議の基準
 以上見てきたように、国籍取得特例法案への反対論には、必ずしも確固たる論拠があるわけではない。日本国籍付与には条件として、民族教育や戦後補償、年金の遡及措置等が必要であるという主張は、余りにも没主体的といわなければならない。また、日本国籍になれば日本人に同化するという主張は、同化の意味のはき違いもさることながら、在日朝鮮人大衆を見下したエリート意識の現われとも受け取れる。在日朝鮮人大衆は一部のインテリ活動家が考えるほどに弱弱しい存在ではなく、強靭でしたたかである。国籍が民族意識を規定することなどありえない。国籍はあくまでも生きるための便宜にしかすぎないのであり、またなくてはならないものなのである。
 反対論の主張は、国籍取得特例法案に対する反対というよりも、日本国籍そのものに対する反対論と考えるべきである。であるならば、その根拠は何か。最も大きな理由は、永住市民(デニズンシップ)への期待である。国民と外国人との二分法を見直し、両者の中間的な市民権をもつ永住者を意味する概念である。日本においては、民族差別撤廃運動が国籍条項を撤廃する際の論理として、憲法の国民概念を拡大解釈しさらに定住外国人概念を導入、ついで外国人住民という概念を生み出した。永住市民はこれをさらに一歩すすめて参政権をも可能とするより高いレベルの権利概念である。しかし、これは欧州連合EU)が現実化し、連合市民という新たな社会構成員が登場したことによるものであり、また域内の地方議会の国籍条項は撤廃されているが、国政についてはいまだ実現の目処さえたっていない。
 金敬得(在日弁護士第1号)は、在日朝鮮人が国籍を保持したまま国籍条項を撤廃してきたことによって、日本の国際化に大きく貢献したことを評価すべきであると主張する。さらに参政権を外国籍のまま獲得することは、韓国、北朝鮮をはじめとするアジア地域全体の人権の国際化に寄与することになるとして、日本国籍取得に反対の意見を表明した。
 彼の主張も永住市民の考えに近いものと考えられる。しかし、たとえ永住市民が現実化したとしても、国政参政権にはほど遠いのである。
 たしかに、在日朝鮮人が外国籍のままで今後も諸権利を獲得することは、アジア諸国により良い影響を与えることになろう。しかし、在日朝鮮人は生身の人間である。画期的であることも大切だが、一日も早く自由で人間らしい生活を享受する権利は在日朝鮮人にもあるのだ。全てに優先するもの、それは人間が自由で豊かに生活することである。これが唯一最大の基準であり、その基準で考えたとき、在日コリアンの日本国籍取得は当然の帰結である。