関東大震災・朝鮮人中国人虐殺事件・人権救済申立・勧告(1) 日弁連

日弁連総第39号 2003年8月25日
内閣総理大臣
小泉 純一郎 殿
   日本弁護士連合会
   会長 本林 徹

   勧 告 書

 当連合会では、申立人文戊仙(ムンムソン)による関東大震災時における 虐殺事件に関する人権救済申立事件について調査した結果、下記のとおり勧告します。

      記

第1 勧告の趣旨
  1、国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。
  2、国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。

第2 勧告の理由
 別添調査報告書記載のとおりである。

以 上


関東大震災人権救済申立事件調査報告書

2003年7月
日本弁護士連合会 人権擁護委員

【目次】
第1章 申立の概要
  第1 当事者
  第2 申立の趣旨
  第3 申立の理由(概要)
第2章 調査の経緯
第3章 当委員会の判断
第4章 上記判断に至った理由
  第1 関帝大震災による雁災と戒厳令、虐殺の発生
  第2 虐殺事件の背景となった戒厳宣告
   1 関東大震災における戒厳令
   2 戒厳宣告の手続上の問題点
   3 事件の重大な背景としての戒厳宣告
  第3 軍隊による虐殺
   1 認定と根拠
   (1)認定
   (2)認定の根拠
   2 軍隊による朝鮮人殺害
   (1)政府=の記録に残る事件
   (2)上記以外の事件
   3 軍隊による中国人虐殺
   (1)軍の関与
   (2)大島町事件
   (3)王希天事件
   (4)中国人の虐殺被害者数について
   4 結論
  第4 自警団による虐殺
   1 事実
   (1)新聞報道
   (2)刑事確定記録
   (3)刑事裁判についての新聞報道
   (4)自警団に関する自衛隊および警視庁の資料
   2 自警団による虐殺に関する国の関与
   (1)朝鮮人に関する虚偽事実の流布(流言飛語)
   (2)流言飛語の原因となった虚偽事実の伝達一内務省警保局長発の打電
   (3)行政機関による虚偽事実の伝達と自警団の組織
   (4)刑事事件判決に判示された事実
   (5)千葉県八千代市在住者の残した日記による記録
   (6)関東戒厳司令官の告諭及び命令について
   (7)流言飛語の発生・自警団創設に関する国の関与と、自警団による朝鮮人虐殺
   (8)当時の政府機関における朝鮮人に対する考え方
   (9)マイノリティー保護に関する国際的認識
   4 結論
第5章 再発防止の重要性
【資料目録】

※※※※※※※※※※
第1章 申立の概要
 ……省略……

第2章 調査の経緯

 事件委員会は、申立人本人から事情聴取を行い、また、別紙目録記載のすでに刊行された資料集、史料集を閲覧検討した。 とくに、重要な史料については原本ないし現物にあたり、それが現存しない、あるいは、確認困難である場合には、その史(資)料の所在を確認した。 さらに、史料を収集した団体及び個人に収集の経緯を確認することにより、資(史)料の信憑性の確認に万全を期した。
 史(資)料の確認のために、赴いたのは、東京都公文書館防衛庁史料編纂所、憲政資料室等である。
 また、朝鮮人虐殺の加害者を処罰した刑事事件の確定判決閲覧謄写のため、前橋、横浜、浦和、千葉の各地方検察庁を訪問して、閲覧謄写の申請をした。
 上記各地方検察庁では結局のところ確定記録保存法にもとづき、閲覧を拒まれた。最終的には法務省とも交渉し、確定記録保存法にいう保存記録ではないとの確認を得たが、結局上記各地検からは閲覧許可を獲得するにいたらなかった。
 このため、事件委員会は元立教大学教授山田昭次氏が歴史研究の目的で収集した判決のコピーを閲覧して、事実認定の資料として活用させていただいた。
 なお、関東大震災の際に発生した殺害等に関しては、朝鮮人、中国人のみならず、社会主義者と目された日本人あるいは朝鮮人と間違われて殺害された人などが知られているが、申立の趣旨から、本報告書では、朝鮮人、中国人の被害に限定して検討する。

第3章 当委員会の判断

 次の主文による勧告を日本政府に対して行うべきものと考える。

  【主文】
1、国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、 および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪せよ。
2、国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因をあきらかにせよ。

第4章 上記判断に至った理由

 申立人による人権救済の申立を受けて、人権擁護委員会の任命のもとに事件の経過と国の責任を調査した事件委員会は、国に対して前記のとおり勧告を出すべきとの結論にいたったので、調査の経緯、結論の基礎とした事実認定、その根拠についてここに記載する。

第1 関東大震災による羅災と戒厳令、虐殺の発生
 1923年9月1日午前11時58分、東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡、山梨、茨城の1府、6県を大震災が襲った。火災もおこり死者99,331人、行方不明43,476人、家屋全壊128,266戸、半壊126,233戸、焼失447,128戸に達した。
 1923年9月2日、政府は、帝国憲法8条に定める緊急勅令によって戒厳令を宣告した。9月3日には、戒厳地境を東京府・神奈川県全域に拡大した。
 東京戒厳司令官は、9月3日、職権によって戒厳令第14条の権利制限の適用について次のように定めた。
「一、警視総監及関係地方長官並二警察官ノ施行スベキ諸勤務。
  1 時勢二妨害アリト認ムル集会若ハ新聞紙雑誌広告ノ停止。
  2 兵器弾薬等其ノ他危険二亙ル諸物品ノ検査押収。
  3 出入ノ船舶及諸物品ノ検査押収。
  4 各要所二検問所ヲ設ケ通行人ノ時勢二妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機二依り水陸ノ通路停止。
  5 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中二立入検察。
  6 本令施行地域内二寄宿スル者二対シ時機二依り地境外退去。
 二、関係郵便局長及電信局長ハ時勢二妨害アリト認ムル郵便電信ヲ開鍼ス。」
 この震災の直後、朝鮮人、中国人が多数殺害された。

第2 虐殺事件の背景となった戒厳宣告
1 関東大震災における戒厳宣告
 戒厳令とは、一般に、非常時に際して通常の行政権、司法権の停止と軍による一国の全部または一部の支配の実現を意味する非常法をいい、日本では、軍人勅諭の制定と同じ年である1882年(明治15年)8月5日に、太政官布告第36号として制定された。その第1条は、「戒厳令ハ戦時若クハ事変二際シ兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス」と規定している。 日本においても、戒厳宣告の実体要件としては戦時もしくは事変を条件としており、対外防備のための非常法として制定されたものである。
 1889年に制定された大日本帝国憲法には14条で天皇の戒厳大権の規定が定められたが、戒厳の要件・効力を定めるべき新法が制定されなかったため、太政官布告による戒厳令がその法律に代わるものとされた。
 しかし、帝国憲法下の軍事戒厳は日清戦争のとき1件、日露戦争のとき6件宣告されたのみで、日露戦争後は軍事戒厳が宣告された例はなく、帝国憲法8条の緊急勅令制定権を利用した、もっぱら国内治安のための、いわゆる行政戒厳が行われた。行政戒厳は、1905年日比谷焼打事件に際して東京市および周辺に、1923年関東大震災に際して1府3県に、1936年二・二六事件に際して東京市に、計3回行われた。
 本件における戒厳令も、帝国憲法8条に定める緊急勅令によって宣告された。

2 戒厳宣告の手続上の問題点
 関東大震災における戒厳宣告は、帝国憲法第8条に定める緊急勅令の形で発せられた。緊急勅令を発するときは、枢密顧問の諮詢を経るという枢密院官制上の規定が存在したが、本件戒厳の勅令においては枢密顧問の諮詢を受けていない。 また、勅令は官報により公布されて有効となるとされているが、本件では官報に記載されず、号外扱いとなっている。
 このような戒厳宣告が、枢密院(顧問)の諮詢を経ることなくなされたことは、緊急勅令によって戒厳を宣告する手続の適法性として疑問が残るところである。

3 事件の重大な背景としての戒厳宣告
 関東大震災によって多数の火災が発生し、これによる多くの死傷者がでたことは間違いないが、そうであるとしても、なお、戒厳令を宣告して軍隊を出動させるべき必要があったかどうかは、疑問の余地なしとしない。そもそも戒厳令は、「戦時若クハ事変二際シ」という戦争、内乱状態を前提として、敵からの攻撃に対処するために、行政権等の執行を停止させ、「兵備ヲ以テ」軍に国民生活を統括させるものである。
 このような戒厳令を震災という自然災害事態に対して宣告すること自体、中央および地方の官憲の危機意識を過剰に募らせるものであった。
 9月3日の関東戒厳司令官命令は、戒厳令にもとづく命令の施行の目的として、「不逞の挙に対して、罹災者の保護をすること」を挙げ(資料第2の2関東戒厳司令官命令第一号前文『関東大震災 政府陸海軍関係資料?巻陸軍関係史料』139貢)、不逞の挙を行うものを想定している。
 また、戒厳令は戒厳司令部に対して、押収、検問所の設置、出入りの禁止、立ち入り検察、地境内退去など、災害時における対処としては著しく過大な権限を与えた(前同書143貢)。
 これらは、大地震という自然災害に際しての救難・復旧などに通常必要な対応の水準を超えて、騒擾その他の犯罪行為を予防・鎮圧する治安行動的な対応を意味している。このことは中央及び地方の各官憲に、そのような治安行動が必要な事態が生じているという危機感を増幅させたと考えられる。
 また、このように増幅された危機感と認識は、後述するとおり、行政の指揮命令系統を通じた自警の指示や、末端の巡査などの巡回等によって自警団などの民衆レベルにも浸透したものと考えられる。