在日コリアン人権運動の理論構築について(21)

結論

 民族差別撤廃運動が停滞した基本的要因は、支配権力の支配と強制、それにもとづく既得権の肥大、多数派国民による少数派国民に対する差別と排除という基本的構造にメスを入れないことに根本問題がある。この構造は「私発見」という多文化共生論によってつねにごまかされようとしている。この隠蔽された基本的構造の議論を活発化しなければならない。活発化した議論の過程で、この構造の本質を暴露しなければならない。多文化共生論は、マイノリティに対する寛容さを売り物にし、全ての差別をなくすというスローガンで全体の奉仕者を装う。しかし、全体の利益のための公衆の中には、必ず隠された私的利益が存在する。それが組織であれば、その組織の利益である。「私的利益が悪いからではなく、私的利益のどの一つでも公衆を偽造する力を獲得すると、私的利益相互の調整がうまくいかない」(リップマン)。したがって、公衆(全体の奉仕者)の裏に隠された私的利益を活発化した議論を通じて明らかにする必要がある。公然たる討論によって私的利益が白日にさらされたとき、私的利益は適切な範囲でのみ、つまり説明責任に耐えうるものとして調整される。
 対立はよりよい社会を作り上げるために必要不可欠な資産である。対立によって人々は話し合いのテーブルにつき、対立によって人々は相手の主張の背後に隠れた私的利益を暴露し合い、妥協点をさぐることができる。公然たる対立、すなわち活発な派閥抗争こそ特定の派閥の権力の独占とその結果生まれる腐敗をチェックすることができる。  在日コリアン人権運動の再生にとって最も重要な点、それは情報戦である。最新の情報ツールを駆使した情報戦によって管理者の情報独占を打破することである。民族差別撤廃運動を停滞に追いやった構造の本質を暴露させるために情報戦が必要である。運動体が互いに情報を交換するためにも情報戦が有効である。今日ではデモや大衆動員が必ずしも有効な戦法とは限らない。情報戦によって動員される世論のほうが、はるかに効果を発揮することもある。
 もはや官僚や民僚による人権運動のナショナルセンターは不要である。個々のグループが、各々の個性を発揮して自由に、または必要に応じて情報交換し、連携することが人権運動全体の力を増大させる。ナショナルセンターはマイノリティの中の支配と従属関係を生み出し、官僚と民僚の格好の餌場になる危険性にさらされ続ける。ここでのキーワードは分離と自治である。
 巨大な組織も危険である。それを取り込もうとする勢力にとっては格好の餌食となる。共に行動できる団結力の強い人々による少人数のグループが多数生まれることが重要である。そしてこれらのグループが各々の持ち味を発揮して、情報と政策提言を発信し、その政策能力を強化することを日常の闘いとする。ときには必要に応じて、団体交渉やストライキを決行し、両者を補完しあうことが必要である。
 国籍にとらわれる必要はない。国籍は自由で豊かな生活を送るための便宜にすぎない。自由に選択しうる道具である。国籍の有無は差別の原因ではない。国籍を取得することによってはじめて、日本社会の牢固足たる差別の構造があらためて浮かび上がってくる。我々は小数派日本国民(コリア系日本人)の道を選択することによって日本の民主主義の長い闘争の歴史と手を結び、かつ我々独自の方法と色合いで、日本の民主主義の豊富化に貢献することができる。この道は多元化民主主義といいうる。
 日本国籍を取得し、それを武器として多文化共生論に隠蔽された既得権と排除の構造と闘うこと。これが民族差別撤廃運動再生の方向である。しかし、闘う側の主体が市民としての自覚を堅持し、下からのイニシアティブを発揮する努力を怠ってはならない。在日コリアンが自由に生きる社会とは、市民活動が活発なより良い社会である。そのためには在日コリアンが市民としてこの社会に積極的に参画し、下からのイニシアティブを発揮することによって、「奴隷の心理」から「市民性を開花させる」(T・Hマーシャル)主体にならなければならない。市民性を定着させるには英国でも3世紀を要した。私たちの子や孫の世代に引き継ぐ長い道のりを踏み出さなければならない。


参考文献
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