金賢姫の手紙 (2)

本当に嘆かわしいことこの上ない放送3社の製作陣でした。疑問を提起した事項はすでに調査がなされ自分たちの放送ニュースや言論を通じて報道されたり、国家情報院がそれらの調査結果を資料として保管中のものなどでした。彼らは私の海外工作行程を追跡、取材し、あたかも新しく発見した途方もない事実のように今になって大げさに騒いでいました。

私が見るには、彼ら製作陣はすでに調査されている事実だとは分からないように疑惑事項を熱心に取材して放送していました。もし私が彼らの番組に出演したならば、まちがいなく私は「にせ物」にされてしまったことは明白でした。

そしてMBCとSBSは私の出演拒否が不満だったのか、私の居住地住民たちをインタビューし私の居住地を撮影して公開してしまいました。

国家情報院が私を自宅から追い出しながらも、放送3社を支援した番組の中身があのような「金賢姫金賢姫と安全企画部の失脚」だったという事実に、言葉を失いました。

MBCの番組が放送された次の日(11/19)にこのことを確認できることが起きました。
担当警察幹部が訪ねてきて、私に放送を見た感想を尋ねました。本当に火に油を注ぐ彼の破廉恥な行動に私は耐えることができなくて「殺して下さい」と大声を張り上げたし、彼はそのまま上部に報告すると言ってあわてて帰りました。

警察当局は数日前MBC取材記者らの襲撃を避けて、私を明け方3時に避難させておいて今になって彼らの放送の感想を尋ねにきたという事実により、彼らの図々しさと二重的処置を知ることができました。彼らが私を逃避させたことは彼らのあらかじめ計画された追い出し行為であったのです。

国家情報院と警察当局は、私が幼い子供らがいるからすぐに持ちこたえることができなくなって降参すると確信したのか、互いに代わりばんこで私を深いどん底に追い詰めました。彼らはすでに国家機関ではありませんでした。誰よりも法を厳格に遵守して執行しなければならない彼らの反理性的行為は、自ら国家機関であることを放棄するものでした。

そして、私は彼らから保護を受けるのではなく、すでにかなり以前から監視を受けていたことを悟ることになりました。その時から私は、国家情報院と警察当局、二つの公安当局と超緊張状態で対立し合う状況になりました。そして彼らの陰謀らが徐々に表面にあらわれ始めました。

  • 放送3社らの連係疑惑

私は現在まで国家情報院と対立し合っているなかで、最近担当官から「私たちはKAL機事件16周年をむかえて、放送各社の企画特集番組を支援しただけだ」という弁解を聞きました。

彼ら放送各社から「にせ物」にされてしまった被害当事者の私の立場で見れば、国家情報院は支援の水準を越え、ある政治的目的を持って番組を企画し、MBCを含んだ放送3社がその支援を受けて製作、編集するなど互いに連係して共謀したことはが明らかでした。

国家情報院が放送各社らと連係し共謀した理由として第1に、放送各社が少なくても数ヶ月多ければ1年近く多くの人的物的支援を投資し製作、編集した番組がそろって事件のねつ造疑惑を扱う内容の偏向的放送をしたという点です。 韓国を代表する公営放送にもかかわらず、偏向しないで公正に製作、放送をしたとは到底見ることはできなかったのです。

国家情報院が支援したという結果が約束でもしたように「安全企画部捜査がでたらめだった、金賢姫は嘘をついた」と糾弾する特集放送でした。本当に国家情報院は放送各社が製作、編集した番組の内容を放映以前に知らずにいたのでしょうか。放送各社が情報機関の捜査の疑惑を辛らつに批判報道しているのに国家情報院が中断要求もしないで、これを引き続き支援したことが私としては納得することはできなかったです。

二番目に放送各社らのねつ造疑惑提起に対して国家情報院は非常に消極的な態度で対応していたということです。国家情報院は私金賢姫とKAL機事件に関連して、膨大な量の捜査および情報資料を保管しています。それにもかかわらず、国家情報院の国内担当次長の朴丁三は「KAL機事件が南北の対決時代、冷戦時代の遺物だった」というあいまいな言葉だけを語りました。放送各社らが提起している古臭い疑惑に対して国家情報院は知らないふりをして捜査資料を意図的に提供しなかったのです。

いったい国家情報院が何を支援したのか、私としては分からなかったし理解できなかったのです。

MBCに出演した朴丁三は、真実ゲームの一つの側に立ってその真実ゲームを楽しみながらKAL機事件ねつ造疑惑を調整する実質的なプランナーでした。そうして放送各社は私とKAL機事件を否定的に描写するのに大部分の時間を割愛しました。

三つ目、放送各社はKAL機ねつ造疑惑の提起とともに私の居住地を撮影し放送して露出させてしまいました。 MBCは私の居住地を襲撃し、それでも足りなかったのか露出までさせました。 SBSもこれに負けないように何日後にまた再び露出させてしまいました。

放送各社は私が自分たちの要求に応じないといって無力な罪人をむやみに路上に投げ飛ばすことができるのですか。 国家情報院は放送各社の無謀な行為をただ眺めて沈黙しました。彼らを制裁したり抗議し調査したという話を私は今まで聞くことができませんでした。

これでも国家情報院は放送各社と共謀しなかったと言えますか。 本当に惨憺たる心情です。

四つ目、放送各社が事件当時の検察と安全企画部の捜査責任者らに対する取材活動をしなかったということです。放送各社は事件に対する各種の疑惑だけを提起し、そのような疑惑を最も速くて効率的、経済的に解決できる該当事件捜査の専門家かつ責任者らを取材から除きました。そして遺族らの絶叫場面とインタビュー場面を放送しつづけて、視聴者たちの感情を刺激するなど感性に訴えました。

放送各社は意図的に彼らを取材対象から除外させるほかなかったと思います。 なぜなら、彼らから事件取材意図に関して疑いをかけられることを恐れたためです。そして、国家情報院指揮部はその点を悩まないわけにはいかなかったでしょう。結果的に後任者らが前任者らを調査する形になるのです。

調査能力をまともに持たない放送各社の製作陣が捜査専門家たちを取材すれば事件疑惑が解消されてしまい、彼らの「疑惑の拡大強調」特集番組を放映することはできなかったでしょう。

最後に、国家情報院と放送各社は疑念に満ちたまなざしで無力な私だけ責め立てようとしました。私は安全企画部在職時、北朝鮮のニュースを伝える番組、MBCの「統一展望台」とKBSの「南北の窓」にしばしば出演して北朝鮮実状の情報を提供した事実があります。その当時放送各社の北韓局は開始初期なので今と違い北朝鮮関連情報が貧弱な状態でした。

私が北朝鮮で生まれて生活しなかったとすれば、放送各社にて北朝鮮社会の実状をどうして話せたでしょうか。社内で北韓局は教養製作局のねつ造疑惑の提起に対して何の反応を見せなかったです。二つの放送会社の教養製作局は私が北朝鮮人だということさえも疑惑の目で見ました。放送各社は私が「嘘をついている。毒薬アンプルをかむこともしなかった不道徳な女」と猛非難をして私をとても否定的に描写しました。
それが私に対する特集番組の結論でした。

図体が大きい放送各社が私ひとりに関して困惑する姿が真にあわれにさえ見えました。国家情報院と放送各社製作陣はテレビ画面の裏で軟弱な私に対して、私と視聴者たちをあざ笑ってばかにし陰謀を計画していました。

私は、歴史は彼らを絶対許さないだろうし必ず報いを受けるべきだと考えます。罪のない多くの生命を奪った航空機テロ事件を国家機関と公営放送機関が政治的に悪用したことについて彼らは責任を負わなければならないでしょう。

  • 放送各社の問題点

MBC、SBS、KBSなど放送3社の製作陣は1988年1月の安全企画部の捜査結果発表文に焦点を合わせて取材をし、疑惑を提起するのに余念がなかったです。彼らは捜査発表以後に、初動捜査での失敗や不十分な事項に関して調査が続けられ言論に報道された資料に顔を背け無視しました。これが彼らの最初の問題点です。

放送各社は、私の父、金ウォンソクが1987年当時アンゴラ駐在北朝鮮貿易代表部の首席代表として勤務していたという安全企画部の発表が、完全な偽りだと明らかになったと放送しました。

しかし、コンゴ駐在北朝鮮大使館の一等書記官として勤務し1995年3月亡命した高英煥氏は「当時金ウォンソク氏は対外経済事業部アンゴラ技術協力団代表であった」
「当時は外交官ではなかったが政府官僚であった」と「月刊朝鮮」2001年11月号で話しました。

果たして放送各社はこの記事を見なかったのでしょうか。 そして、私の父がキューバ駐在外交官として在職したという事実を証拠づける資料があるのにもかかわらず国家情報院は彼らにその資料を提供しなかったです。 それは外交的な問題が発生することを憂慮してのことでしょうか。

二番目、放送各社は私が北朝鮮人であるという事実が明らかになる場所に対しては、そろって取材することも言及することもありませんでした。

捜査結果発表資料に写真が大きく付けられている私の海外実習場所のマカオの居住地と居住生活、中国光州の居住地に対して放送3社が同じように見過ごすことはそんなに容易ではなかったでしょう。彼らはアジアの近いところを置いて、遠くヨーロッパと中東地域にまで行って私の行程を取材するのに多くの時間と経費を支払わなければなりませんでした。

三つ目、放送各社はある事項について事実と一致する部分と一致しない部分を全体的に取り上げ一致しない部分について疑惑提起をしなければなりませんでした。しかし、彼らは部分誤謬を犯し、その誤謬を無視しながら問題提起をしました。

放送各社は暗号手帳に記載されたブダペストの連絡先電話番号とベオグラード北朝鮮大使館の電話番号2つが幼稚園、化学工場の番号だとして疑惑を提起しました。しかし、すでに確認された2つの連絡先電話番号であるウィーン所在北朝鮮大使館とベオグラード所在の工作員アジトの番号に対しても言及しなければなりませんでした。 4つの電話番号うち2つは合っていて2つは一致しなかったことを視聴者たちに理解させなければなりませんでした。 視聴者たちは一致する2つの電話番号について全く知らされませんでした。

四つ目、放送各社は事件の事実関係全体を理解しようとせず、形式的であったり2次的な問題の言葉尻を捉えて疑惑を提起して事件全体を否定しようとしました。

彼らは、私が工作任務を与えられ「敵の背後に出発するときに誓った誓約文」の内容については無視したまま、文中の「キュユル(規律)」という語の綴りを取り上げ、北朝鮮では使わない綴りだと疑惑を提起し、発表翌日の某朝刊新聞では「キュリュル」と北朝鮮式に修正されて報道されたとして、ねつ造だと大騒ぎした。

しかし、彼らは私が工作員教育時に「以南化(韓国化)」教育を受けたという事実を全く取り上げませんでした。「以南化(韓国化)」教育は、韓国に浸透して任務を遂行する工作員の最も基本的な学習に属するものです。

その忠誠の誓約文は私が韓国の取り調べ室で韓国式綴字法に従って書いたので「キュユル」になったのです。綴りを変えて書いたといっても私としてはおかしくはありません。ひたすら疑惑提起者たちは「キュユル」綴りのために「忠誠誓約文」はなかったと主張しています。しかし、私は明らかに東北里招待所で誓約文を朗読しました。

そして、放送各社は花を渡す少女の写真の耳を問題視して食いついてきて、私が1972年11月南北調節委員会の会談の際、平壌近郊の力浦に臨時に用意された飛行場で花を渡す少女として参加したという陳述に対してはいかなる言及もしませんでした。
その当時与えられた父の職業など周辺状況に関する資料も国家情報院に保管されています。

金賢姫の手紙 (1)

救う会は、金賢姫が10月、李東馥北朝鮮民主化フォーラム常任代表に出した書簡を入手し、翻訳作業を進めていた。約2万6千字の長文ではあるが、貴重な資料なので全文を翻訳した。
これを読むと、
1, 大韓機爆破テロ事件をねつ造だとする韓国内の情報機関、テレビ局、市民団体の常軌を逸した活動と、
2. それにより金賢姫がいかに苦しめられてきたか、
3. いま、金賢姫がその実態を公開することで自分を苦しめた勢力に正面から対決している姿がよく分かる。

金賢姫が「大韓航空機爆破事件が金正日の直接の指示による国家テロだ」という真実を韓国社会に認めさせるために戦う姿勢を失っていない以上、近い将来、同じ金正日の指示による国家テロである拉致事件についても、新たな証言をしてくれる日が来ることはまちがいないだろう。
その際、田口八重子さんの家族との面会も実現することと期待する。

北朝鮮工作員金賢姫の書簡全訳》
   翻訳・西岡力


※※※※※※※※※※
李東馥北朝鮮民主化フォーラム常任代表様

この夏は本当に蒸し暑かったです。十月の終わりに吹く冷たい風は秋の気配をはっきりと感じさせます。

こんにちは。
私はKAL 858機爆破事件の張本人金賢姫です。私は代表に、1972年11月南北調節委員会の南側使節団として平壌に来られた時、花を渡す子どもとして参加して初めてお目にかかり、ソウルにきて代表が安全企画部特別補佐官としていらっしゃる時に二回目にお会いしました。代表と私とは特別なつながりを持っていますので、こちらから訪ねてごあいさつしなければならないのが当然な道理ですが、それができなくて申し訳ありません。

私は月刊誌やインターネットを通じて、代表が北朝鮮民主化のため活動される姿を見させていただきました。
最近、MBC番組「PD手帳」が放送した狂牛病問題に関連して記者会見をなさるなど代表の消息に接しています。

  • 手紙を書くことになった動機

私がここ韓国に定着して生活してすでに20年余りの歳月が経ちました。私は1997年12月に、それまでのすべての社会活動を完全に止めて結婚して二人の子供の母として平凡な生活をしてきました。
私は私のせいで深い心の傷を負った遺族の方たちがこれ以上、傷つくことがないように、世の中とは距離をおいて一日一日、懺悔しつつ静かに生きてきました。
しかし、5年前の2003年ごろ親北性向の政府ができてから、世の中は私を静かに放置してくれませんでした。KAL機事件のねつ造説と陰謀説がこれまでのどの時期よりも大きく提起され、MBCなど公営放送社がこれに便乗して,KAL機事件の実像を否定的に放送する残念な事態が発生しました。

私は代表が2003年11月、PD手帳「16年間の疑惑,KAL機爆破犯金賢姫の真実」を担当したMBC教養製作局崔震溶責任プロデューサーに送った手紙を読ませていただきました。

崔プロデューサーが「張基栄に花束を渡した少女が金賢姫ではないことに判明した」としたことに対する代表の丁重な反論でした。

そして、代表が2007年10月国家情報院の過去史委員会のKAL機事件調査結果発表に対して、「晩時之歎」とされた文章を読みました。
私は代表が、私とKAL機事件の実像を立証するために多くの努力をしてくださったことに対して感謝申し上げます。

しかし、親北左派らは代表の証言を拒否し、私は彼らから過去の政権の間ずっと「にせ物だ」「嘘をついている」として非難を受けなければならなかったし、国家情報院の過去史委員会からは十数回の調査要求を受けなければなりませんでした。

そして、MBCとSBSなどテレビ局製作陣らは私の家を襲撃して撮影したものを放送して露出させるかと思えば、国家情報院と警察当局は私と私の家族を自宅から追い出すという、本当有り得ないことが発生しました。
私はその時からいままで追い出され逃避生活をしてきました。事件の唯一の証人で当事者の私が体験しなければならなかった多くの苦難と、実際にその陰謀がどのように展開したのかに対する私の意見などを代表に詳細に申し上げて、御支援をいただきたくこの手紙を書かせていただきました。

  • 疑惑の事件

2003年10月になり、私の身辺でおかしなことが起きました。国家情報院の某職員から、国家情報院内部が騒々しいから外国に移民に行くことを勧められました。担当職員からは電話で数十回にわたってKAL機事件に関する質問を受けました。彼は私に痛恨の過去の記憶を思い出させました。私と関連して国家情報院の内部でなにかが起きているようでした。

そして、担当警察幹部からは、2年ほど他地域に居住してくれと要求されました。彼はその理由については何の話もしませんでした。

その年10月下旬頃、私の家の玄関に疑わしい二種類の外国産牛乳が配達され、その配達物は何日間かそのままその場に置かれたままでした。

その時期、KBS取材記者らが私の居住地周辺を何日の間徘徊して取材活動を熱心にしていました。しかし、私は国家情報院から彼らの取材活動について、事前に通報されませんでした。

その年11月上旬頃、カソリック司祭団115人が、一週間後にはカソリック神父202人が貞洞聖フランチェスカ会館で、KAL機事件ねつ造疑惑を提起して全面再調査と当時の安武赫安企部長、李相淵次長、鄭亨根捜査局長ら捜査責任者に対する調査を求める記者会見をしました。16年前の事件が本格的に水面の上に浮上し始めました。

このような周辺の状況で心が非常に不安定な時期に国家情報院担当官からMBCの番組「PD手帳」に出演してくれという要請を受けました。私は彼の求めを断りました。彼は再度、(国家情報院の)指揮部ですでに決めた事項であるからとその指示に従うことを強要してきました。しかし、私はこの指示を頑強に拒否し、それが大きい禍根になりました。

そうして11月中旬頃、この指示拒否のために私の夫が呼び出しされて京畿道盆唐の某食堂で国家情報院の担当幹部と職員に会うことになりました。その場で彼は私の公開出演は要求しないが、代わりに年末に庁舎内で天主教神父らと説明会を持つことに約束をしました。 私の公開問題はこれで決着したかのようでした。

しかし、私の夫が担当幹部に会っているまさにその時刻に、夜陰に乗じてカメラを持った記者数人が私の家を襲撃することが起きました。彼らは他でもないMBCのPD手帳の取材記者らでした。私としてはとても緊張し当惑するしかありませんでした。国家情報院は表で泰然として私に偽り約束をしながらから裏で攻撃をするのは、彼らの事業計画がかなり切迫したように見えました。

MBC記者らに襲撃された翌日の明け方、私は彼らに引き続き苦しめられることを考えて担当警察らと共に彼らの目を避けて幼い子供らを背負って、別の場所に逃避することになりました。ひどいことに夫が留守中である時に私の身辺に危ないことが起こりました。

私の家の周辺は蜂の巣をつついたように突然騒がしくなり、何日か後に今度はSBS取材記者らが私の家周辺を取材して回りました。

私はその時から今まで満5年の間、住み慣れた我が家に帰ることができなくなり、このように逃避生活をすることになるとは思ってもみなかったことです。そして、その期間に私はにせ物と烙印を押され、不道徳な女とされてしまいました。

ところで、私の身辺に対する一連の疑わしい事件がどのようにして起きたのか、その疑問を解くにはそんなに多くの時間は必要ありませんでした。

この一連の事件が「KAL機事件ねつ造疑惑」とかみ合わさり、その疑問を解く端緒になりました。

  • わたしを自宅から追い出した勢力

私に突然まき起こった一連のこの疑わしい事件は、私を精神的に肉体的にますます圧迫するための脅しのシグナルだということが分かったのです。

MBC取材記者に襲撃された翌日、私の臨時逃避場所の近くに尋ねてきた担当警察幹部は私の夫に「新聞をむやみに開いて読まず、牛乳のような配達物は気を付けなければならない。今回のことは鄭亨根議員を攻撃するためだ。某地域に二ヶ月程度、隠れ住んでくれるか」と求めました。

彼はこれほどの精神的、肉体的衝撃を与えたのだから私たちが彼らの要求を素直に受け入れると思ったようです。彼はMBC襲撃事件だけでなく自分の管轄区域内で起きている放送3社らの取材活動について、そしてこれから展開する事態についてよく知っているようでした。

そして、彼が帰った後、私が彼らの要求に同意するか悩むのに必要な何日の期間がまた流れました。今度は国家情報院担当官から私の夫に電話がかかってきました。彼は窮地に追い込まれた私に向かって、前回の約束とは関係なくMBC放送に出演するかインタビューを受けることを再度要求しました。ところで思いがけないことが起きました。この問題を論争する過程でMBCの襲撃事件はまさに国家情報院によって行われたことが暴露されました。

私の出演拒否によって国家情報院がかなり以前から企画し推進してきた事業計画に支障が生じたのが明らかに見えました。工作員の目ではその事業が「工作」であるということをすぐ識別することができました。

これにより、国家情報院が警察当局、放送各社と互いに連係して、工作事業を推進してきたことを知ることができました。私について国家情報院は情報管理を、警察当局は保安管理を各々分担して受け持っているから、私と関連した事業を推進するには彼らは互いの協力体系を構築しなければならないのです。例えば放送各社が国家情報院の黙認下に取材のため接近するのを、警察当局が積極的に対処して自分の職務に忠実だったとすれば、事がうまく進まなかったと思います。

国家情報院が中心になって、警察当局、韓国の主要放送社と連係して、巧妙に私と私の家族を自宅から追い出した本当悲しくあってはならないことが起きました。 それらの機関は皆、絶対互いに何の関連がないと開き直るでしょう。

私、金賢姫とKAL機事件について、約束でもしたように各局が偏向放送をするやりかたは、彼ら放送各社が公営放送の義務を果たさないまま「私たちは政権の宣伝扇動媒体に転落した」と自らが語ったものでした。

  • 表面に出てきた陰謀

カソリック神父らの二度の大規模な記者会見は一種の信号弾に過ぎませんでした。
KAL機事件の「ねつ造陰謀説」はMBC放送を最初にしていっせいに火ぶたを切りました。
砲撃の威力は本当にすごかったです。私を抱き込むのに失敗した国家情報院は、私および過去の安全企画部を政敵に設定して攻撃し始めました。

彼ら執権勢力は軍事政権下の情報機関である「安全企画部」と脱軍事政権下での情報機関である「国家情報院」を区分し、はっきり異なると認識しているようでした。

私は、国家情報院が自分のアイデンティティを忘却したまま、自身の前身である安全企画部を攻撃する凄惨な光景を目撃することになりました。彼らは「背後」で指揮し、自身の姿を隠したまま、放送、言論機関らを利用して宣伝させ、宗教・市民団体の「前衛」組織を動員してデモや扇動をさせるなど色々な戦術を繰り広げました。

私は彼らによって自宅から追い出された状態で、疑惑と威嚇が激しく降り注ぐ砲火の中を抜け出そうと必死の努力をしました。

放送3社は事件16周年を前後してMBCは「PD手帳」番組で、SBSは「それが知りたい」で、KBSは「日曜スペシャル」2部作で「金賢姫、彼女は誰か」、「16年間の疑惑と真実」、「金賢姫と金勝一、疑問の行程」などの題名で私、金賢姫の工作行程を中心に取材し放送しました。

総連系の在日韓国人

『kinchan的朝鮮総連考(1) ― 朝鮮籍朝鮮総連の構成員で北朝鮮の信奉者 … そんな訳ないがな!』
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/mobile?date=20110131&guid=on§ion=1296485270

『kinchan的朝鮮総連考(2) ― 帰還事業がすべての間違いだった』
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/mobile?date=20110630&guid=on§ion=1309446047

 朝鮮総連が、少なくとも首脳陣が北朝鮮の体制や示した方針に隷属し、組織全体が北朝鮮への翼賛体制を維持しつづけている主要因について、私の考えを述べたいと思います。
先に断っておきます。
これはあくまで「kinchan個人の見立て」であり、文献等からの学習の類が多いものの裏付けの無いものも含みます。しかし、過去に総連の内部で様々な人間と絡みながら得た経験を元にしたものですので、朝鮮総連という組織を眺めるひとつの切り口として、有効な着眼になろうとは思います。

1959年より、在日朝鮮人の帰還事業というのがはじまり、多くの在日コリアンが、北朝鮮へと永住すべく渡って行きました。
………
多くの在日コリアンがなぜ縁の薄い北朝鮮(在日コリアンの多くは半島南部や済州島の出身)に渡ったのか、主だったところを挙げると以下のとおりです。
・日本における法的制度的差別及び社会の偏見が激烈であったこと。いまと比べても話にならないほど劣悪だったこと。多くの在日コリアンが生活苦に喘いでいたこと。
・当時は南北朝鮮の経済的優位は、韓国よりむしろ北朝鮮の方であり、韓国は軍事政権下でもありダーティーなイメージがあったこと。
・当時の在日コリアン組織も、北朝鮮を支持する朝鮮総連が韓国民団より優位だったこと。
・信頼できる客観的中立的な北朝鮮の内部情報がまるで無いなか、多くの日本メディアが伝聞や憶測で北朝鮮を礼賛し、帰国を美談として取り上げ持て囃したこと。
日本赤十字も人道的見地から多くの負担とともに支援し、日本政府も後押ししたこと(日本政府の支援には「邪魔者を追い払う」性格があったことは、のちに知られることとなるが)
結果、北朝鮮に渡った在日コリアン等は、約9万人にものぼりました。
中には苦学し、そのまま日本に留まっておれば知識的な社会的貢献が期待されうる人もいました。また中には日本社会が追いやり、なり手の無かった、きつい、汚いと呼ばれるような仕事を必死で興し、苦労しながら財を成した人もいました。そのような人も財の多くを朝鮮総連に託して渡って行きました。幼い子供たち、日本人の配偶者、新婚夫婦、その他本当に様々なバックボーンを持った人達が、自分の能力を祖国の建設、戦災復興に役立てられるのなら、と見たこともない北朝鮮での未来を思い描き、希望を抱きながら渡って行ったのでした。
 しかし、彼らを待っていたのは、劣悪な生活環境と、日本以上に激烈な差別社会でした。
北朝鮮からしてみれば、韓国との主導権争い、自己の社会制度の優位性の宣伝から、在日コリアンが南ではなく北を選んで帰国しさえすればよく、受け入れる環境や姿勢など、まるでなかったのです。
 彼らはその多くがインフラもろくに揃わない山間部や辺境の地に定住させられ、職業や学校も自分の意志で決めることは、ほとんどできませんでした。(元々北朝鮮には居住地と職業の選択の自由は無いに等しいが)
現地人からは「帰胞」や「半チョッパリ」と蔑まれ、日本から持ち出したなけなしの財産をたかられ、現地に身寄りのない彼らはみるみるうちに落ちぶれて行きました。当然のように彼らは不満を口にし、日本への再出国を求めたりもしました。
 自由な物言いが許容されない北朝鮮で、彼らは早速監視や排斥の対象となりました。彼らは総連の幹部や日本の共産党の党籍を得ていた者以外、殆どが敵対階層と位置づけられ、社会的にも地理的にも物質的にも最下層の身分に追いやられ、それに歯向かうものはもれなく政治犯として親族もろとも駆られて行きました。苦しい日本での境遇を憂い、「地上の楽園」を夢見て渡った北朝鮮。ところがそこは「地獄の果て」で、多くの帰国者が失意のうちに、政治犯収容所で、餓死で、銃殺刑で、死んで行きました。

ここまでは一般的に知られる帰還事業の顛末ですが、これが、帰還事業が終わったあとの、現在に至るまでの朝鮮総連にも暗い影を落としていると私は見ています。

……いまも北朝鮮で命をつないでいる帰国者、そしてその子孫が、北朝鮮当局の人質となり、朝鮮総連傘下同胞の金を搾り取り、幹部の口を封じ、北朝鮮を批判できない環境を維持するのに機能していると考えるのです。
その構造を説明します。
帰国者は帰国当初こそ持ち出した財産で何とか食いつなぐことができましたが、早速物質的に困窮するようになり、それを日本に残る親類やツテのある同胞に頼るようになります。日本に残った親類は、毎月のように送られて来る手紙に、「祖国の懐は素晴らしい」といった美辞麗句の隅に「10万円送ってくれ」とか「中古車を一台…」とか、しつこくモノをねだる言葉が置かれているのを見て、北朝鮮は「地上の楽園」などではないことを直ちに知ることになりました。
 それでも困窮する家族の為にと、日本に残った者は援助を続けます。これによって、日本に頼る親類がいる帰国者は、物質的には比較的恵まれた生活が送れるようになるのですが、現地人がこれに目を付け、職場や地域の帰国者に、工場の物資や外貨をアテにするようになります。職場の立場や党員資格をエサに、祖国建設に貢献するようにという建前で、帰国者にたかるのです。帰国者は生きるために無心を続けますが、さすがに際限ない援助に疲れ果て、耐え切れなくなって祖国との交信を絶った在日コリアンが数多くいます。私の親もそうだし、私の周りの在日コリアンにはそのようなエピソードを持つ人がたくさんいます。
実際私も学生時代に、会ったこともない従兄から手紙が来て、「溶接用の色つき眼鏡レンズを…」と書かれていたのを見てびっくりした経験があります。

また1970年代には、北朝鮮当局が、帰国者の処遇をダシにして、朝鮮総連を手先として、在日コリアンの懐に露骨に直接手を入れてくるようなこともあったようです。「総連に一千万円寄付すれば家族を党の重要なポストに就かせる」「二千万円寄付すれば収容所から家族を出してやる」。このような誘拐犯まがいのやり口で巻き上げられた金は、朝鮮総連を素通りして北朝鮮に渡って行きました。

仮に在日同胞の多くが北朝鮮に渡らず、日本で、その持ちうる知識を日本社会や在日社会に向けていればどうでしょう?
北朝鮮に送りつづけていた財産を、日本社会や在日コミュニティの発展に使っていればどうだったでしょう?想像するしか術が無いのですが、もう少しは暮らし向きも良かっただろうし、社会的立場も確立できただろうし、在日社会で共有できる財産も、もう少しは持てたはずなのです。帰還事業によって、本来日本社会と在日コミュニティーの充実のために活躍していたはずの、多くの人的資源を失い、その後長きにわたって、あらゆる物的資源を、帰国者を想うがために、北朝鮮為政者の強欲の成すがままに投げ打ってきた。

帰還事業は、その地点だけではなく、その後長きにわたって、在日コリアン社会に暗い影を落としたのだと、私は見ています。
現在、朝鮮総連で(オフィシャルの場で)北朝鮮式の言論の不自由さが維持されているのも、北朝鮮にいる帰国者の命を担保にしているものと見ています。朝鮮総連はいまや創立されて55年を超える古い団体ですが、いまの朝鮮総連の上層部には、創立当時、あるいは草創期より関わっている者が少なくありません。当然家族や兄弟が北朝鮮に渡っていることが多く、本人あるいは子孫がそこで命を繋いでいます。上層部の人間の全員が全員、北朝鮮の親類らの命運を顧みず、北朝鮮の独裁者に反旗を翻し、北朝鮮の呪縛から独立して、在日の利益擁護と日本社会でのコミュニティー形成のためのみに働く、北朝鮮には是々非々でモノを言う、というのなら、体制は打破できるかと思います。しかし、上層部が一枚岩でそれができるとはとても思えません。やりたくてもできないのです。一族のなかで「反党分子」「変節者」が出たときの、北朝鮮当局のやり口は、彼らがいちばんよく知っています。たとえ一部が勇気を持ってクーデターを起こしたとしても、自分と、日本と北朝鮮の親類がトカゲの尻尾のように
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/mobile?guid=on&date=20110630

大阪朝鮮学園補助金裁判(15)

9 争点12(国家賠償法上の違法及び故意過失の有無)について
(1) 検討
ア 上記8のとおり、原告はA市要綱に定める本件A市補助金の交付対象要件を充たしていない以上、本件A市不交付が違法であると認めることはできない。
イ 原告は、前記第2の4(12)(原告の主張)のとおり、本件A市不交付が違法であると主張するが、上記8のとおり、原告はA市要綱に定める本件A市補助金の交付対象要件を充たしておらず、憲法26条,13条、社会権規約19条等の国際人権基準、平等原則及び後退的措置の禁止等によっても本件A市補助金の交付を受ける権利を認めることはできない以上、原告に本件A市補助金の交付を受ける権利や利益を認めることはできないというべきであるから、本件A市不交付によってこれらが侵害されたとはいえない。
また、上記8(2)イのとおり、平成24年3月27日付け改正によりA市要綱に盛り込まれた新要件もこれが違法であると認めるに足りる事情はないし、本件A市不交付においては、本件A市不交付をするに先立ち、被告A市においては被告A府の判断に従う旨を原告担当者に告げていることからすると、原告においても本件A市申請が申請内容どおり許可されるか否かについて楽観視できない状況が早くから生じていたということができ、本件A市不交付も予想し得ないものではなかったというべきである。そして、原告は、本件A市不交付が原告を狙い撃ちにしたものであると主張するが、本件A市申請が交付要件を充たさないとされた新要件そのものが違法なものとは解されない上に、殊更に原告を狙い撃ちして本件A府不交付をしたとまで認めるに足りないというべきである。
加えて、原告は、本件A市不交付がA市要綱8項に定める期間内にされていない、本件A市不交付はA市要綱の改正前に事実上されていたと主張する。しかし、A市要綱は、申請期限を毎年5月末日としているのに対し、本件A市申請はこれに3か月以上遅れてされているのであるから、申請期限に大きく遅れた申請について、A市要綱8項に定める期限内に交付・不交付の決定がされていないことを不当ということはできない。また、被告A市担当者は、A市要綱の改正前に原告に対して本件A市申請が不交付となる見込みであると告げているものの、その時点で既に被告A市による交付は被告A府が交付するか否かに沿ったものとする旨の方針が決められていたのであって、これに従ったものということができるし、実際にこれに従ってA市要綱が改正され、本件A市不交付がされていることに照らせば、これを殊更注意義務に違反したということはできない。
なお、本件A市不交付は行政処分ではなく、A市要綱は被告A市の内部の事務手続を定めるものにすぎない以上、被告A市における行政手続条例に違反する旨の原告の主張は前提を欠いている。
(2) 小括
以上によれば、本件A市不交付に、国家賠償法1条1項の違法があるとは認められない。したがって、本件A市国賠請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第4 結論
よって、本件訴えのうち、本件各取消等請求に係る部分は、不適法であるから却下することとし、原告のその余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。


大阪地方裁判所第7民事部
裁判長裁判官 山 田 明
裁判官 新 宮 智 之
裁判官 坂 本 達 也


(別紙1)
当事者目録
大阪市 a 区 bc 丁目 d 番 e 号
原 告 学 校 法 人 A B 学 園
同 代 表 者 理 事 長 n
原 告 訴 訟 代 理 人 弁 護 士 o
同 p
同 q
同 r
同 s
同 t
同 u
同 v
同 w
同 x
同 y
同 z
同 a’
同 b’
同 c’
同 d’
同 e’
同 f’
大阪市 f 区 gh2丁目
被 告 A 府
同 代 表 者 知 事 g’
処分行政庁A府教育長h’
被告A府訴訟代理人弁護士 i’
被告A府訴訟復代理人弁護士 j’
同 k’
同 l’
同 m’
被告A府指定代理人n’
同 o’
同 p’
同 q’
大阪市 i 区 jk−l−m
被 告 A 市
同 代 表 者 市 長 r’
被告A市訴訟代理人弁護士 s’
同 t’
同 u’
被告A市指定代理人 v’
同 w’
同 x’
同 y’
同 z’
78

(別紙2)
略語一覧
A府私立外国人学校振興補助金交付要綱 →A府要綱
A府私立外国人学校振興補助金 →本件A府補助金
平成23年度分の本件A府補助金 →本件23年度A府補助金
A市義務教育に準ずる教育を実施する各種学校を設置する学校法人に対する補助金交付要綱 →A市要綱
A市義務教育に準ずる教育を実施する各種学校を設置する学校法人に対する補助金 →本件A市補助金
平成23年度分の本件A市補助金 →本件23年度A市補助金
原告の被告A府に対する本件23年度A府補助金の交付申請 →本件A府申請
原告の被告A市に対する本件23年度A市補助金の交付申請 →本件A市申請
A府知事による本件A府申請を不交付とする旨の決定 →本件A府不交付
A市長による本件A市申請を不交付とする旨の決定 →本件A市不交付
本件A府不交付及び本件A市不交付 →本件各不交付
請求1(1)アに係る請求 →本件A府取消等請求
請求1(1)イに係る請求 →本件A府承諾請求
請求1(1)ウに係る請求 →本件A府確認請求
請求1(1)エに係る請求 →本件A府補助金国賠請求
請求1(2)に係る請求 →本件A府風評等国賠請求
本件A府補助金国賠請求及び本件A府風評等国賠請求 →本件A府国賠請求
請求2(1)アに係る請求 →本件A市取消等請求
請求2(1)イに係る請求 →本件A市承諾請求
請求2(1)ウに係る請求 →本件A市確認請求
請求2(1)エに係る請求 →本件A市補助金国賠請求
請求2(2)に係る請求 →本件A市風評等国賠請求
本件A市補助金国賠請求及び本件A市風評等国賠請求 →本件A市国賠請求
本件A府承諾請求及び本件A市承諾請求 →本件各承諾請求
本件A府確認請求及び本件A市確認請求 →本件各確認請求
本件A府風評等国賠請求及び本件A市風評等国賠請求 →本件各風評等国賠請求
H国 →H国
K →K
平成24年3月16日、一部日刊紙の朝刊に、「B学校生 G氏に忠誠」と題し、「全国のB学校から選抜された児童・生徒約100人が1〜2月にH国を訪れた際、故Iと新指導者、G氏に忠誠を誓う歌劇を披露していた」とする記事が掲載されたこと →本件新聞報道
H国において平成24年1月〜2月に開催された歌劇公演であって、全国のB学校から選抜された児童・生徒約100人が参加したもの(本件新聞報道に係る歌劇公演) →Y
「B学校に対する補助金支給にかかる要件」と題する書面 →本件メモ
補助金等見直しチェックシート(甲48) →A市補助金等チェックシート
人権に関する世界宣言 →世界人権宣言
経済的、社会的及び文化的権利に関する国際条約 →社会権規約
市民的及び行政的権利に関する国際規約 →自由権規約
児童の権利に関する条約 →子どもの権利条約
あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約 →人種差別撤廃条約
学校法人Mが設置するAM →M
平成24年3月7日付け改正によりA府要綱2条に付加された要件 →4要件
私立学校法の一部を改正する法律等の施行について(通知)」(平成16年7月23日付け16文科高第305号。乙10) →文部科学省通知
市民的及び行政的権利に関する国際規約 →自由権規約
平成24年3月27日付け改正によりA市要綱2項に付加された要件 →新要件
R →R
T →T
ABC級学校の教育活動の確認ワーキング →WG
ABC級学校の教育活動に関する提言 →提言
A府府民文化部私学・大学課 →私学課
U →U
W →W
Z →Z
学校教育法1条に定める幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校
→1条校
文部科学大臣都道府県の教育委員会及び都道府県知事
文部科学大臣
専修学校又は各種学校の設置のみを目的とする法人(私立学校法64条4項) →準学校法人
A府補助金交付規則 →A府交付規則
学校法人会計処理基準(昭和46年文部省令第18号) →会計基準
公安調査庁が公表する直近の「内外情勢の回顧と展望」において調査等の対象となっている団体。ただし、政治資金規正法(昭和23年法律第194号)3条2項に規定する政党を除く。 →特定の政治団体
特定の人間の外観を表現した絵画や写真等 →政治指導者の肖像画
A市補助金等交付規則 →A市交付規則
法令、条例及び規則 →法令等

大阪朝鮮学園補助金裁判(14)

8 争点9(A市要綱交付対象要件充足の有無)について
(1) A市要綱2項該当性について
ア 本件A市申請(平成23年9月12日)及び追完(同年10月12日)の当時,A市要綱における本件A市補助金の交付対象が「本市内において各種学校を設置する私立学校法に定める学校法人」とされていた点が,平成24年3月27日付けで改正され,「本市内において各種学校を設置し,当該年度にA府私立外国人学校振興補助金の交付を受けることが見込まれる私立学校法に定める学校法人」とされている。
本件A市補助金の交付が贈与契約という形式でされていることからすると,契約の成否及び内容は,申込み(申請)と承諾(交付決定)により決まるというべきであり,被告A市の内部の事務手続を定めるA市要綱は,申込み(補助金申請)の誘因として位置付けられるものであり,それを超えて契約の成否及び内容を直接確定するものとは解されない。そして,A市要綱は,平成24年3月27日付け改正の際にも経過規定が設けられておらず,交付決定がされた後においても事情変更による交付決定の取消し等があり得るものとされ(12項),申請に対してそのまま承諾(交付決定)がされたとしても確定的に申請内容に従った交付が得られることを保証するものではない。これらの点に照らせば,本件A市補助金の交付決定に当たっては,その時点でのA市要綱が適用され,交付申請をした後にこれに対する交付・不交付の判断がされないうちにA市要綱が改正された場合には,改正後の要綱に基づいてその交付・不交付の判断をする趣旨のものということができる。補助金の交付申請の際に前提とされたA市要綱と異なる内容の要綱によって補助金の交付・不交付(契約の成否・内容)が決められる場合には,申請者の期待を損なう状況も生じ得るが,A市要綱は,本件A市補助金の申請期限と交付・不交付の判断の期限を設け(5項,8項),交付・不交付の決定後次の年度の申請までの間に改正作業を行うことで,上記のような場合を限定しているものと解される。そうすると,A市要綱に定められた提出期限である5月末日を3か月以上経過してされた本件A市申請については,申請者である原告において申請後にA市要綱が改正されることにより不利益が生ずるとしてもやむを得ないものといわざるを得ない。
イ そして,被告A市において,A市要綱の内容をいかに定めるかについては,上記のとおり裁量を有しているものと解され,そうすると,被告A市において,各種学校の監督権限が被告A府にあり,本件A市補助金は本件A府補助金を補完する性格のもので,本件A府補助金を前提としているとし,これを明記すべくA市要綱2項を改正すること(丙8,証人W)は,相応の根拠があるというべきである。
ウ したがって,A市要綱に設けられた新要件が違法,無効ということはできず,上記認定事実(4)オのとおり,被告A府が本件A府不交付をしたのであるから,原告が「本市内において各種学校を設置し,当該年度にA府私立外国人学校振興補助金の交付を受けることが見込まれる私立学校法に定める学校法人」に当たるということはできず,A市要綱2項に定める本件
A市補助金の交付対象要件を充たさないことは明らかである。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,前記第2の4(9)(原告の主張)アのとおり,憲法26条,13条,社会権規約19条等の国際人権基準,平等原則及び後退的措置の禁止を根拠に本件A市補助金の交付を受ける権利,利益を有しており,平成24年3月27日付けA市要綱の改正は同権利等を侵害するものであると主張する。しかし,憲法26条,13条,社会権規約19条等の国際人権基準は具体的な権利を基礎付けるものとはいえず,他の私立学校や各種学校との間に補助金の交付の有無等に差異が生じたとしても,直ちに平等原則に反するものとはいえないというべきであるし,また,後退的措置の禁止も政治的義務はともかくとして,法的義務とは解されないから,これらにより原告が上記権利等を有していると認めることはできない。
なお,上記6(2)アと同様に,本件A市不交付により原告が平成23年度A市補助金の交付を受けられないことにより,結果として,原告が運営する各種学校に通学する児童,生徒及びその保護者の学習環境の悪化や経済的負担の増大等の影響が生ずることが懸念されるところであるが,A市要綱による本件A市補助金に係る交付事業が学校法人への助成という枠組みを前提としている点も同様であるから,既に説示したところと同様に,当該学校法人又はこれが運営する学校がA市要綱に定める交付要件を充たしていない以上,本件A市補助金の交付が受けられないとしてもやむを得ないといわざるを得ない。
イ(ア) また,原告は,前記第2の4(9)(原告の主張)イのとおり,本件A市補助金は,国やA府とは無関係に,被告A市が学校教育法の規定する小・中学校に準ずる教育をしている学校法人があるという実態を考慮して交付を始めた制度であって,被告A市が原告にもそのような実態があることを認めていたからこそ長年にわたって本件A市補助金を交付してきたはずであり,本件A市補助金を被告A府が行っているA府補助金を補完するものと位置付けること自体,本件A市補助金の趣旨及びその経緯に反し,政治的理由による狙い撃ちであるから,新要件を付加することは許されないと主張する。確かに,平成3年度分から原告に交付されてきた本件A市補助金は平成4年度分から原告に交付されてきた本件A府補助金に先立って交付され始めたものであり(上記認定事実(1)ア,イ),原告に対する平成22年度分の本件A市補助金の交付決定は,本件A府補助金の交付決定(平成23年3月25日)に先立つ同年1月27日にされている点で,本件A市補助金の交付が本件A府補助金の現実の交付を前提としてされていたとは解し難いところである。
(イ)a しかし,被告A府においては,昭和49年度から原告に対する助成(私立各種学校設備費補助金)をしており,その後,本件A府補助金の交付が始まってからというもの,本件A府補助金の交付がされなかったのは平成23年度が初めてであるし(前記前提事実(2)ア,上記認定事実(4)オ),平成22年度分の本件A府補助金については被告A府の担当者と原告との間で,被告A府が求めた4項目を充たすか否かについて種々のやりとりをした上で,これを充たすとしてその交付がされている上(上記認定事実(2)イからカまで,同クからコまで),平成23年度分のA府補助金についても,被告A府職員は,原告に対して,その交付を受けるために必要となる文書等を指示し,原告の対応によってA府要綱2条に定める交付対象要件を充たせばその交付がされるという趣旨の説明をしていた(上記認定事実(4)ア,イ)。このように本件23年度A市補助金までは,本件A府補助金の交付がなく本件A市補助金が本件A府補助金を補完するものであるという性格が問われるような状況が現実化することがなかったにすぎない。そして,各種学校については被告A府が監督官庁を務めていること(学校教育法134条2項,4条,13条等。丙8,証人W)に照らせば,これに対する助成等についても第一次的には被告A府が役割を担うべきとの立場で,A市内にある各種学校のうち義務教育に準ずる教育を実施する学校法人である外国人学校について,その役割に鑑み,被告A市において被告A府による助成を補完する形で助成することとし,A市要綱を定めて本件A市補助金の交付をしてきたものと認められる(丙8,証人W)。
そうすると,被告A市においては,本件A府補助金を補完するものとして本件A市補助金の交付をしてきたものであるが,平成23年度において,本件A府補助金が交付されず,本件A市補助金の本件A府補助金を補完する性格が問われる状況が生じたことから,その性格をA市要綱上においても明確にするために平成24年3月27日付けA市要綱の改正が行われたものと解されるところであって,当該改正によっても,A市要綱に実質的な改正はないということができる。
b また,仮に平成24年3月27日付けA市要綱の改正により,その実質的な内容に変更があったと解したとしても,A市要綱は,A市交付規則を受けて補助金交付の内部手続を定めた細則であるから,被告A市がA市要綱をいかに定めるかについて裁量を有しており,この点は,贈与契約の性質を有する本件A市補助金の交付対象としての要件(交付対象要件)についても異なるものとは解されない。そして,上記のとおり,A市内に所在する外国人学校を含む各種学校監督官庁が被告A府であることから,このような各種学校に対する助成等についても被告A府が第一次的に行うべきものとし,本件A市補助金はこれを補完するものとして補助制度の枠組みを規律し,このような位置付けをその交付対象要件として明記することも合理性を有するもので,その裁量の範囲内ということができる。そして,A市要綱の改正内容も,各種学校の個々の特性や教育内容に関わらない補助制度の枠組みに関する事項であることに照らせば,同改正が原告を殊更狙い撃ちにしたものということはできず,また,被告A府による4要件が違法・無効でないことは前述したとおりである。
ウ さらに,原告は,前記第2の4(9)(原告の主張)ウのとおり,本件A市申請後に改正されたA市要綱によることが信義則に反する旨主張する。しかし,本件A市補助金の交付の法的性質は贈与契約であり,A市要綱は被告A市の内部手続を定めた細則にすぎない以上,A市要綱が原告と被告A市との法律関係を直接規律するものではないし,A市要綱の定めも,申請内容に比して減額して交付される場合や,交付決定がされた後における事情の変更による決定の取消し等についての定めを設けているのであって(10項,12項),申請者がした申請内容を保証し,その内容に従った本件A市補助金の交付が確定的にされることを前提とはしていない。そして,原告が本件A市申請をしたのはA市要綱5項に定める申請期限を経過した後であり,上記(1)アのとおり,A市要綱もこのような申請を本来的に予定しているとは解されないところである。そうすると,被告A市がA市要綱を上記のとおり改正したとしても,原告との関係においてこれが許されないとまではいえず,A市要綱を改正して本件A市不交付としたことが,信義則に反しているとはいえない。
(3) 小括
以上によれば,平成24年3月27日付けでA市要綱に付加された新要件が違法,無効とはいえず,原告がA市要綱2項に当たるとは認められず,また,同項を適用することが信義則に反するともいえないから,原告がA市要綱交付対象要件を充たすと認めることはできない。
したがって,本件A市承諾請求及び本件A市確認請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がない。

大阪朝鮮学園補助金裁判(13)

争点7(国家賠償法上の違法及び故意過失の有無)について
(1) はじめに
国家賠償法1条1項にいう違法とは,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することであり,当該公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認められる事情がある場合には上記法的義務の違背があるものというべきである(最高裁判所平成5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁等)。
(2) 検討
ア 上記6のとおり,原告がした本件A府申請はA府要綱に定めるA府補助金の交付要件を充たしていない以上,本件A府不交付が違法であると認めることはできない。
イ 原告は,前記第2の4(7)(原告の主張)のとおり,本件A府不交付が違法であると主張するが,上記6のとおり,原告はA府要綱に定める本件A府補助金の交付要件を充たしておらず,憲法26条,13条,社会権規約19条等の国際人権基準,平等原則及び後退的措置の禁止等によっても本件A府補助金の交付を受ける権利を認めることはできない以上,原告に本件23年度A府補助金の交付を受ける権利や利益を認めることはできないから,本件A府不交付によりこれらの権利や利益が侵害されたと認めることはできない。また,上記6(2)アのとおり,平成24年3月7日付け改正によりA府要綱に付加された4要件もこれが違法,無効であると認めるに足りる事情はない。
そして,原告は,本件A府不交付が原告を狙い撃ちにしたものであると主張するが,上記6(2)ウのとおり,そのような事実を認めることはできないし,本件A府不交付は,原告が被告A府職員から提出を求められたYの生徒に対する案内文書等の提出等をしなかったことなどの事情から,A府要綱2条8号に定める交付対象要件を充たしていると認めることができず,原告がA府要綱2条に定める交付対象要件を充たすものと認められなかったことによるものであって,相応の合理的理由がある。また,原告は,被告A府によるA府要綱の改正等が,行政手続法,A府行政手続条例に違反すると主張するが,本件A府補助金の交付関係は行政処分ではなく,A府要綱は被告A府の内部の事務手続を定めるものであるから,その前提を欠いているというべきであるし,上記認定事実(3)コ,サのとおり,平成24年3月7日付けA府要綱の改正に先立ち,原告に改正内容を伝えるなどしているから,被告A府の対応の経緯に注意義務に違反したといえる事情はない。
(3) 小括
以上のとおり,本件A府不交付に,国家賠償法1条1項の違法があるとは認められない。したがって,本件A府国賠請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。

大阪朝鮮学園補助金裁判(12)

ウ さらに、原告は、A府知事が4要件の前身ともいうべき「Kと一線を画すこと」などを内容とする4つの項目を平成22年3月に示していることを挙げ、A府要綱に付加された4要件は原告を狙い撃ちにしたものであって、教育への不当な政治的介入であり、突然されたA府要綱の改正はその内容が公にされたとはいえず行政手続法5条、A府行政手続条例に違反すると主張する。
しかし、A府知事が平成22年3月に「Kと一線を画すこと」など4つの項目を原告に告げたのは、A府知事が正に原告の運営に係る学校を訪問して原告関係者と意見交換をしている場においてであって(上記認定事実(2)イ)、本件A府補助金に係る交付対象要件の一般論を原告の場合に置き換えて説明したものにすぎないということができる。そして、上記イのとおり、4要件を設けたことには相応の理由があり、裁量の範囲内ということができるし、4要件を具体化したA府要綱の内容も一般性を具備した体裁をとっているのであって、殊更に原告に対する本件A府補助金の交付を阻止するため、原告を狙い撃ちにしたものとまではいえない。また、4要件は本件A府補助金の交付対象要件であって、原告における教育内容を直接規律するものではなく、教育に不当に介入するものともいえない。もとより、本件A府補助金の交付を受けない外国人学校に対して、1条校に求められるような政治的中立性を求めるものではない。
さらに、本件A府補助金の交付関係は行政処分ではなく、A府要綱は被告A府内部の事務手続を定めるものであるから、行政手続法及びA府行政手続条例の適用の前提を欠いている上、被告A府は、上記認定事実(3)コ、サのとおり、平成24年3月7日付けA府要綱の改正に先立ち、原告に改正内容を伝えるなどしていたことに照らせば、原告との関係においてA府要綱を公にしていなかったともいえない。
(3) 小括
以上によれば、原告がA府要綱2条に当たるとは認められず、もとより平成24年3月7日付け改正によりA府要綱に付加された4要件も違法、無効とはいえないから、原告がA府要綱交付対象要件を充たすと認めることはできない。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、本件A府承諾請求及び本件A府確認請求は、いずれも理由がない。