金賢姫の手紙 (6)

北朝鮮の謝罪を受けられないまま、米国が北朝鮮に対してテロ支援国のくびきをはずしてやったのが、韓国のねつ造疑惑提起者たちに口実を与えることになりました。

この間静かだった「KAL機対策委」(委員長金ビョンサン神父)と「家族会」(会長車オクチョン)はこの機会に米国国務省北朝鮮外務省、韓国外交通商部北朝鮮テロ支援国解除の過程でKAL機事件についてどんな議論がなされたのかを尋ねる質問書を発送する予定とし、また活動をし始めました。

「対策委」の立場は、北朝鮮を「家族会」と同じくKAL機事件の直接的な被害者あるいは関連者と見なしています。

「対策委」は盧武鉉政権の間ずっと、ねつ造説を扇動して国会、検察、国家情報院の前などの場所でデモをしながらも、外勢介入を恐れたのか米国と日本大使館の前では一度もデモをしませんでした。そのような彼らが突然態度を変えました。


彼らが態度を変えた理由は、これから6者会談がなされる過程でひょっとして北朝鮮がKAL機事件を間接的でも認めることになれば、ねつ造疑惑闘争を展開した彼らの努力が水の泡になり、過去に権力の中で享受した自分たちの存在感まで喪失すると思って不安がっているためのようです。

私は、米国国務省北朝鮮外務省が彼らの質問書に答えるのかについては非常に懐疑的です。

IAEAの北の核不能化作業はある線までなされるかも知りませんが、今後北朝鮮が米国との修交を前提として米国から核保有国として認められるならば、その時、親北反米指向のねつ造疑惑提起者は果たして反米を叫びながら北朝鮮を変節者と非難できましょうか。

彼らの背後の国家情報院は、今回の米国の北朝鮮テロ支援国の解除措置でKAL機事件ねつ造疑惑と関連した一切の事態を遠ざけながら自分たちの誤りを極力否認するでしょう。私はテロ支援国解除とは別個の問題として国家情報院に対して過去の責任を必ず問いたいのです。

  • 結び

私は最近、過去の政権で出版された韓国近現代史教科書に「1987年大統領選挙直前にあったKAL機爆発事件は韓国、北朝鮮の政府間の関係を悪化させる契機として作用した」と記述されていることを知ることになりました。

ところで、ここでは「北朝鮮によるテロ」という事実とこの事件で北朝鮮が米国から「テロ支援国」として指定される結果を招いたという事実など国民が必ず知らなければならない事実が省略されていました。

高校歴史教科書を通じても過去の政権が親北性向の歴史意識を持った政権であることが如実に示されました。だから、過去の政権がKAL機事件に対してねつ造疑惑を提起し、過去史委員会で再調査する騒動を起こしたことはそれほど驚くことではありませんでした。

私はKAL機事件に関する偏向した歴史解釈を修正しなければなければならないと考えます。

私は過去政権において発生したKAL機事件関連ねつ造陰謀と過去史委の再調査活動は一言で「金賢姫と安全企画部殺し」公演であったと言いたいのです。

彼らには、北朝鮮の犯行を暴露して安保講演までした金賢姫と、自分たち民主化勢力を弾圧して公安政治へ推し進めた安全企画部が粛清の対象としてみなされたようです。私は、彼らの政権が解放区になった国家情報院にその作業をさせたということに驚きに禁じ得ませんでした。

北朝鮮が企画したKAL機爆破工作は私が逮捕されて事件の全貌が明らかになった反面、国家情報院のKAL機事件陰謀工作はジキル博士とハイド同様に巧妙な両面戦術を繰り広げて今まで世に暴露されず無事に持ちこたえてきたようです。

しかし、正しくないことはいつか世に明らかになると考えます。私は検察と司法府に国家情報院の該当する違法事実を知らせましたが、特別な効果がなかったです。いまや世に知らせる時になったようです。

私は過去、私の犯行事実を国民に一つ一つ自白しました。これによって北朝鮮の家族がばらばらのされたし、私は生死さえ分からない家族を考えてその悲しみに耐えて生きてきました。

このような私の悲劇を誰よりもよく知っている国家情報院は、懺悔して静かに生きている私を事件発生16年ぶりに追い出しました。それも永らく同じ釜の飯を一緒に食べた職員らによってです。本当に人間的な悲哀を感じます。私はKAL機事件で対外情報調査部が解体されたように、国家情報院もそれ位の代価を払わなければならないと考えます。

それで私は指揮部に手紙で丁寧に呼び掛けをしました。本当に私がにせ物で事件がねつ造された疑惑があるならば、捜査権を持った国家情報院は私を緊急逮捕して再尋問して「金賢姫北朝鮮工作員ではなく、安全企画部工作員だった」と再捜査結果発表をしなければならなかったのです。そして、事実がそうではないならば、国家情報院は今からでもねつ造陰謀を中断して謝罪をしなければならないと言いました。

国家情報院は私を何の力がない女だと殺害脅迫までして、ずっと困らせてきました。
そして、彼らは退職した先任者の背中に向かって銃を撃つ卑怯さを見せました。

国家情報院が「安全企画部殺し」公演をしたこと、これが下剋上でなくて何でしょうか。それでも彼らはしらばくれて平気でいます。本当に国家情報院は国家安保の責任を負ったエリート集団ということは正しいですか。私は国家情報院が法を離れて、すでに組織の道徳律まで喪失したと考えます。いまだに彼らの不正を自ら勇敢に告白する者が現れていません。

そして、追放の地で私を身辺保護よりは監視により近い保安管理をしている警察当局も、組織倫理の喪失が国家情報院と違うところがなかったです。組織の法と道徳的価値を投げ捨てた二つの公安当局は、私を危険な「観察対象者」として監視しています。私が見るには、彼らが私よりもっと危険に見えます。

これから私は、批判を加えた国家機関と公営機関、市民宗教団体らと対抗して闘争しなければならない運命に処されそうです。親北性向の政権が退いて実用主義政権ができましたが、私一人で彼らに対処するにはあまりにも力不足です。忍耐しながら生きてきた5年が無駄にならないことを望むだけです。

私がここで試練の毎日を送る間、疑惑提起者は私の両親も北朝鮮の人ではないと主張しますが、私は夢の中でだけでなつかしい両親と弟、妹らに会います。

北朝鮮当局は日本語先生の李恩恵が交通事故で死亡したといいますが、彼女が招待所の窓の外をながめて、幼い二人の子供に会いたくて泣き、拉致された自身の境遇を嘆いた姿をしばしば思い出します。

何年か前に日本のTVで放映された、すでに青年になった李恩恵の息子の姿を見ました。彼の大きい目がお母さんの姿をたくさんとどめています。彼は私に会って自分のお母さん話を聞きたいといったが、そうしてあげることができない私の現実が切なかったです。

私は生死が分からない北側の家族と生き別れして、こちらで追放生活をしているけれども、私の二人の子供を近くで見て過ごすことができるということに自らを慰めながら生きております。

それでは、お体を大切に、さようなら。

2008年10月下旬

金賢姫

www.chogabje.com 2008-11-24 23:30