金賢姫の手紙 (5)

2006年12月初め、宋基寅委員長はKBSラジオ番組で「遺族らが私たちに国家情報院の過去史委の調査結果が不十分だといって申請をしたのだ、同行命令権はあるが、それだけで金賢姫を調査できないならば、強制的に調査できる権限が必要で、国会に強制拘留法案を提案したが、まだ法司委員会に上程されていない」と話しました。

2007年12月初め、安炳旭新任委員長は「真実を明らかにしなければならないが、あるものは適当に伏せておかなければならない」としながらKAL機事件再調査には一切関与しないと話しました。彼は国家情報院「過去事委」委員在職時期「KAL機事件は安全企画部のねつ造でない」という中間調査結果を発表して市民団体から猛烈な批判と侮辱を浴びた事実があります。

最近、国家情報院指揮部へ私の手紙を伝達する過程で担当職員から「真実和解委で私を調査しようとしている。 所在地を知らせてくれという要求をなんとか押し返している」という話を何回も聞きました。

国家情報院は私に対して国家情報院「過去事委」の調査が失敗に終わるや、今回は「真実和解委」を通じて、最後まで調査されるようにして私を窮地に追いやり続けようとしているようです。政権が交代したのに国家情報院が過去の政権で犯した洗い流すことができない過ちについて委員会を通じて免罪させようとする術策とも見えます。
そして、私を調査させ、公開された席に出させて、いまだに健在であるあちらの勢力が私に対して身辺威嚇をしようとする意図が裏にあるのではないかと思えます。

KAL機事件が国家機関の「真実和解委」に申請され、調査がなされ、その結果が発表される前までは、KAL機「ねつ造疑惑事件」は終わらないでずっとつづき、私は国情院と依然として緊張関係を維持することになるのです。

  • 捜査局長の訪問

私が国家情報院と敵対的関係を数年の間、維持してきているなかで、金萬福院長の書信を二度拒絶するや、2007年2月下旬頃、国家情報院李某捜査局長と職員らが私を訪問しました。

捜査局長は私の代わりに私の夫に「『発展委』でKAL機事件について終わらせたいと考えている。『発展委』がこの事件を終わらせて『真実和解委』(当時宋基寅委員長)に関連書類を伝達すれば「真実和解委」はその枠の中で調査して発表するだろう。もし、金賢姫が『発展委』の調査に応じなければ『真実和解委』で裁判所から拘留状の発給を受けて、強制連行して調査を強要するだろう。 金賢姫に面談して調査したいのだが、応じてくれ」と訪問目的を話しました。

しかし、私の夫は彼の要求を拒絶して「私たちは国家情報院のために自分の家から追い出され苦労して生活してきているではないか。『金賢姫はにせ物』という本を書いていても調査官として採用された申ドンジンと、大学で講演して歩き回る徐ヒョンピルを見て見ぬふりをして捜査しない理由がいったい何ですか。そして「家族会」会長車オクチョンと「対策委」執行委員長申ソングク神父は「金賢姫は安全企画部工作員だ」と全国で言いふらしているのになぜ捜査しないのですか」と抗弁しました。

私の夫が引き続き「今、北朝鮮の核のために6者会談が開かれてある程度合意が導き出され成果が表面化して、北米関係改善のために米国がテロ支援国解除意志を最近表明していると聞いています。
それなのに、韓国ではKAL機事件は自作劇だと叫びまくっていれば、米国が黙っていると思いますか。 北朝鮮もテロ支援国解除を要請しているというのに、韓国で足を引っぱるおかしな主張を扇動していれば北朝鮮がどのように韓国を考えますか。 また、政府は南北首脳会談を推進しようとしていると思います。 KAL機事件で被害をこうむった韓国は、被害を与えた北朝鮮に謝罪なしに与えるのみになっています。南北首脳会談時に北朝鮮に正式にこの問題に対する謝罪を要請しなければなりません。そうしてこそ、南北相互関係における会談の真実性が生まれるのです。 この機会に国家情報院が自らの誤りから抜け出そうとするなら、北朝鮮に謝罪させてください」と首脳会談関連して話し、捜査局長にして逆に要請をしました。

その次に私の夫が、「今、金賢姫は韓国、北朝鮮両側から追いつめられているけれど、それよりも日本の接近がさらに深刻になっています。日本は、拉致問題で6者会談に消極的であり、金賢姫をどのようにしてでも探し出そうと血眼になっています。日本も、李恩恵の息子との出会いを通じて自らの立場を高めようと努力しており、それが南北関係に一定の作用や影響を及ぼすだろうと考えています」と事件と関連する国外の問題を話すと捜査局長は納得するかのようでした。
また過去事委員会に関して、私の夫が「YS政府の時も『歴史を立て直し』をするとやかましかったが、今は各種の過去の歴史委員会を作って、歴史立て直しをしています。彼らは「歴史というのは権力によって書くのだ」と信じているのでしょうが、政権が交代すればその事件に対する歴史批判がまたくり返すということを知らなければなりません。
今、過去事委員会は「真実」、「和解」、「発展」という言葉を前面に出して歴史批判をしています。そして、国家情報院がその委員会の代理として私たちに伝達者役割をする姿が忍びないだけです。
金賢姫に対して過去に司法府が3審を行ったものを、今回、「発展委」が4審を行い、「和解委」が5審をする行為、これが人民裁判ではなくて何でしょうか。金賢姫はいつまで裁判を受けなければならないのですか」と強い語調で局長に話すや、彼は慌てながら「人民裁判とまで言うことができようか。
違う。私も組織員に過ぎない。それでは呉忠一委員長に聞いたことを報告する」と話してあわてて帰ったという事実があります。
その年10月初め、南北首脳会談が平壌で開かれましたが、韓国当局は北朝鮮にKAL機事件について一切議論を提起できませんでした。

  • 国家情報院の二重戦術

私は国家情報院が背後で二重基準を持って、表面では情報機関本来の任務を遂行するかのように行動しつつ、実際、内実では表面とは違った行動をするのを見させられました。

一番目に、国家情報院の二重戦術は一貫性が欠如した行動によって容易に発見できました。李相淵前部長は2004年6月初め、前職安全企画部長らと共に高泳●院長に会った席で、KAL機問題に対して合法的手順を踏んで再調査要請がくれば積極的に対応する用意もあるという高泳●院長の確固たる立場を聞いて、当時の捜査責任者として心づよかったとおっしゃいました。

そして高泳●院長はその年7月初め、国会情報委に出席してKAL機事件に関する再調査論議について「大法院判決が真実だと信じており、これは確固たる立場だ。KAL機事件は疑問死調査委らを通じて調査する事件に該当しない」と再度確認しました。しかし彼の話は守られなかったです。

その年8月中旬、高泳●院長は「参与連帯」をはじめ「人権運動のサランバン(客間)」「民衆連帯」「民家協」「民主弁護士会」など7つの人権・市民団体の関連者らと市内某ホテルで極秘裏に会合を持って「国家情報院過去事発展委」の構成と運営に関して意見を打診しKAL機事件等の関連資料を渡しました。(●は 老冠に 句)
このように彼は組織のトップとして外と内が違う二重的な言葉と態度を見せました。
彼は国家情報院長に就任する前の在野時代に民主弁護士会に所属しており「KAL機事件対策委員会」で活動した事実があると聞きました。

彼は金賢姫事件のねつ造は有り得ないことだと言いながらも、「国家情報院の過去事委」が7大優先調査対象を選定することを放置しておいた理由を説明するべきでした。
「国家情報院の過去事委」は彼が招集し構成した組織ではなかったのですか。

そして、朴丁三第1次長は日刊紙「グッドディ」新聞発行人として在職していたとき、2001年9月創刊号に私が乗っていた車両を襲撃した写真を1面で大きく報じた事実があります。この事件があった後、まもなくKAL機事件ねつ造疑惑の提起が放送と言論を通じて、また始まったのです。

結局、盧武鉉政権は国家情報院長と次長などの指揮部にKAL機事件と関連した者を政権樹立時から任命して、KAL機事件を政府政策の一環として使おうとしたようです。情報機関の運営権を持つ彼らは任命された初期からKAL機事件と関連して、実質的な情報機関運営の方向を深く議論したと考えられます。


二番目に、捜査情報資料の提供の側面で見てみると、放送3社が特集でKAL機事件ねつ造疑惑を提起し、私、金賢姫と安全企画部を非難する番組を製作しているのにもかかわらず、国家情報院が関連資料を提供し支援したという事実から指揮部の二重意志が現れています。

国家情報院はMBCとSBS製作陣には写真、映像、資料、証拠物など基本捜査資料を提供したが、KBS製作陣には金勝一の身元関連資料、旅券に押されているスタンプが偽造かどうかの資料など新しい捜査情報資料を提供して番組が2部作で放映できるようにしてやりました。

ところで、2004年3月下旬頃、日本の日本テレビ系列「ニュースプラス1」がKAL機事件と関連して、「金賢姫17年間の真実」という題名の特集を二日間放映しましたが、この番組では担当捜査官が明らかにする極秘捜査資料として拉致された日本語先生李恩恵とともに生活した招待所の周辺環境や、招待所内部構造など私が作成した詳細な図表を公開しました。

国家情報院が国内放送会社に提供した捜査情報資料とは情報の水準がずいぶん違うことが分かりました。もし国家情報院がそれらを国内放送会社に提供して放映させたならばKAL機事件ねつ造疑惑説はすぐに力を失ったでしょう。

国内放送各社は李恩恵関連の疑惑はそろって取り上げずに事件を放映しましたが、日本の放送会社は李恩恵を中心に国家情報院から高級情報を提供され放映しました。
これが国家情報院の資料提供に対する二重戦術だったと考えます。

三つ目に、国家情報院が小説家と出版人を相手に起こした名誉毀損訴訟事件です。
国家情報院はKAL機事件ねつ造疑惑の世論を作る広報次元で偽りの訴訟事件を起こしました。 国家情報院は初めから名誉毀損とは距離が遠いと見ていたと思います。小説よりもっと大きい社会的波紋を起こしたKBSなど放送3社に対しては告訴をしませんでした。企画、支援をした国家情報院としては放送会社らを告訴することはできなかったのだと思います。

そして、国家情報院は小説「背後」を書いた徐ヒョンピルは告訴して、本の表紙に「安全企画部捜査発表は対国民詐欺だ」としてノンフィクション「KAL858、崩れた捜査発表」を書いた申ドンジンは告訴するどころか、「国家情報院の過去事委」の調査官として採用しました。これもまた国家情報院の不公平な二重処置ではないのですか。

四つ目は、2006年4月初め、日本の東京シティホテルで「国家情報院の過去事委」委員の李昌鎬、調査官申ドンジン、国家情報院職員と見なされる通訳などが朝総連系とも懇意にしている作家の野田峯雄と接触した事実があるそうです。国家情報院が、その本の販売禁止仮処分申請をし、国益に反するとして入国禁止措置を下した者を訪ねて接触し、事件関連の話を交わしたという事実は、情報機関に所属する委員として非常に危険な二重行動に違いありません。

偽りの名誉毀損訴訟を起こしながら、不公正放送をする放送3社を支援し、入国禁止された日本人作家と接触するというこのような国家情報院の二重行動と戦術は彼ら自身が「背後」にいるという事実を立証しているのです。