中国残留日本人孤児訴訟の判決要旨(1)

−中国残留日本人孤児訴訟の判決要旨− 2006年12月 1日


神戸地方裁判所
平成16年(ワ)第835号
平成16年(ワ)第1485号
平成17年(ワ)第1026号事件について

当裁判所は,平成18年12月1日午前10時,原告番号19,43,44及び65の4名を除く原告ら61名の請求を一部認容し,被告に対し,その61名に表1「損害総額」欄記載の損害賠償金(総額4億6860方円)を支払うよう命じ,上記4名の請求を棄却する旨の判決を言い渡したが,その判決の概要及び判決理由の要旨は下記のとおりである。
 神戸地方裁判所第6民事部

      記
【判決の概要】
 1 原告らは,いずれも,かつての満州(現在の中国東北部)で肉親と暮らしていたが,昭和20年8月9日満州に攻め入ったソ連軍からの逃避行又はその後の避難生活において,肉親と死別又は離別して孤児となり,中国人に養育され,昭和47年9月の日中国交正常化後,日本に帰国した者である。

 2 表2は,原告らの終戦時(降伏文書調印時である昭和20年9月2日)の年齢(表2の(終)欄),日中国交正常化時の年齢(表2の(正)欄),永住帰国を決意した時,帰国が可能と考えられた時期,実際の永住帰国の時期,永住帰国時の年齢(表2の(永)欄)に関する本判決の事実認定を整理したものである。
 表3は,原告らが受けた日本語教育の概要,原告らが,永住帰国後に定着促進センターに入所したかどうか(表3の(定)欄),現在生活保護を受給しているかどうか(表3の(保)欄)に関する本判決の事実認定を整理したものである。

 3 原告らは,骨子,次のとおり主張し,国家賠償法1条に基づき,被告に対し,一人当たり3300万円の損害賠償金の支払を求めた。
 (1)政府関係者は,残留孤児の帰国の妨げとなる措置を講じ,あるいは残留孤児の早期帰結を実現させる義務(早期帰国支援義務)を懈怠し,その違法な職務行為によって原告らに損害を被らせた。
 (2)政府関係者又は国会議員は,自立した生活を営むことができるよう帰国孤児を支援する義務(自立支援義務)を懈怠し,その違法な職務行為によっても原告らに損害を被らせた。

 4 本判決は,次のとおり判断した。
 (1)原告番号5,6,9,12,14,20,28,29,30,38,41,45,49,52,58,59,62の17名の原告は,残留孤児の帰国の妨げとなる違法な措置により,帰国を制限され永住帰国を遅延させられたから,被告は,それら17名に帰国遅延月数1月当たり10万円の割合によって計算される慰謝料を支払うべき国家賠償責任を負う。

 (2)ただし,本件訴訟提起の20年以上前の帰国遅延に係る損害の賠償責任は,除斥期間が経過したことにより消滅しており,上記17名のうち原告番号20,62の原告ら2名の帰国遅延について,被告は損害賠償責任の全部を免れる。

 (3)原告ら主張の早期帰国支援義務は,政府の政治的責務としては首肯できるものの,その懈怠が国家賠償責任を発生させるような義務,すなわち,政府関係者が原告ら個々人に対して負う具体的な法的義務として認定することが困難であり,原告らの帰国に関し,被告には,上記(1)以外の国家賠償責任を負うとすることができない。

 (3)原告らは,北朝鮮拉致被害者が法律上受け得る日本語収得,就職や職業訓練に関する支援措置と同等の自立支援措置を受ける権利があり,政府関係者は,原告ら個々人に対し,永住帰国後5年間は,生活の心配をしないで日本語の習得,就職・職業訓練に向けた支援を行う法的義務を負っていたが,その義務を怠ったのであり,被告は,原告らそれぞれに対し,その義務の僻怠によって生じた無形損害を償うため600万円の慰謝粉を支払うべき国家賠償責任を負う。

 (4)ただし,永住帰国後5年間の自立支援義務の緊急から既に20年が経過している原告番号19,43,44,65の4名の原告らとの関係で,被告は,除斥期間の経過により,自立支援義務の懈怠を原因とする損害賠償責任を免れる。

 (5)自立支援に関する国会議員の立法不作為については,裁判所がこれを違法と判断することが困難であり,立法不作為を原因とする原告らの国家賠償請求は理由がない。

判決理由の要旨】

第1 残留孤児が生じた経緯

 1 政府は,傀儡国家である満州国を建国したことから,満州の支配体制の確立,満州の軍事力の充実を目的とし,昭和7年から満州への移民を開始し,昭和12年から終戦直前までは,重要な国策として,大量の開拓民を満州に送出し,主として,ソ連軍の満州侵攻時に犠牲が生じやすい満州の北部・北東部に開拓民を住まわせた。

 2 開拓民が唯一頼りであった関東軍は,昭和18年後半以降,戦局悪化を受けて半分が他所に転用され,著しく弱体化し,ソ連軍を迎え撃つ戦力を保持していない状態であった。
 昭和20年春にはソ連の満州侵攻が決定的となったが,政府は,朝鮮半島及びその近接地域を絶対的防衛地帯とし,その他の満州地域を持久戦のための戦場とすることを決定し,多くの開拓民らの犠牲を伴う作戦を立てた。
 これにより,開拓民の多くは,ソ連軍侵攻時,関東軍による防戦を期待することができず,ソ連軍による殺戮・略奪の危険にさらされる状態となった。

 3 にもかかわらず,政府は,静謐を装う方針を堅持することにし,開拓民に関東軍やソ連の動向に関する情報を伝えず,開拓民を予め避難させる措置を講ずることもなかった。それどころか,昭和20年7月には,弱体化した関東軍の人員補充のため,いわゆる「根こそぎ動員」を実施し,開拓民の青年・壮年男子全員を徴兵し,開拓民を高齢者と婦女子だけの無防備な集団にしてしまった。

 4 このようにし,開拓民は,全く無防備な状態で,昭和20年8月9日,突然ソ連軍の侵攻にさらされ,極度の混乱の中で難民と化し,暖房も食糧も乏しく衛生状態も悪い避難所で,極寒の越冬生活に直面することになった。原告らを含む多数の日本人乳幼児・児童は,避難所へたどり着く過程や避難所生活中に親兄弟と死別・離別しており,自己の意思とは無関係に,周囲の大人の判断により,命をつなぎ止める唯一の手段として中国人家庭に渡され,養子として養育されることになった。そして,中国人の養子となった原告ら孤児たちは,避難所に踏みとどまって後に集団引揚げをした日本人の大人と一緒に我が国に帰還することができず,その後も帰還の途を閉ざされ,長らく,我が国と国交のない中国に残留することになった。

第2 残留孤児の帰国に向けた政府の責任について

 1 戦闘員でない一般の在満邦人を無防備な状態に置いた戦前の政府の政策は,自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であったというほかなく,憲法の理念を国政のよりどころとしなければならない戦後の政府としては,可能な限り,その無慈悲な政策によって発生した残留孤児を救済すべき高度の政治的な責任を負うと考えなければならない。政府自身,残留孤児が中国内で生存していることを認識していたのであって,後期集団引揚げが終了した昭和33年7月以降も,残留孤児の消息を確かめ,自国民の救済という観点からその早期帰国を実現すべき政治的責任を負っていたのである。

 2 日中国交正常化までは,残留孤児救済責任を果たすための具体的な政策の実行は困難であったというべきであるが,日中国交正常化によって,政府は,残留孤児救済責任を果たすための具体的な政策を実行に移すことができるようになった。 したがって,日中国交正常化後は,残留孤児の帰還に関与する政府関係者は,政府の残留孤児救済責任と矛盾する行政行為を行ってはならず,特段の背理的な根拠なしに,残留孤児の帰国を制限する行政行為をしたとすれば,それは,残留孤児個々人の帰国の権利を侵害する違法な職務行為となる。
 そして,そのような行政行為によって我が国への永住帰国が妨げられたと認められる原告がある場合,被告は,国家賠償法1条に基づき,帰国を制限されたことによって当該原告が被った損害を賠償すべき責任を負う。

 3 具体的には,次の(1)ないし(2)は,合理的な根拠なしに残留孤児の帰国を制限する違法な行政行為というべきである。

 (1)残留孤児が我が国に入国する際,留守家族の身元保証を要求する措置
 残留孤児は,通常,中国旅券を所持して我が国に渡航することになえざるをえないところ,中国政府が残留孤児であると認めて出国を許可した者は,中国旅券を所持していても日本人であると考えて何ら差し支えがなかったのに,政府は,残留孤児を外国人として扱う方針を貫くことにし,残留家族による身元保証書の提出がされない限り,入国を認めなかった。これにより,誰が留守家族か分からない残留孤児(身元未判明孤児),留守家族の協力が得られない身元判明孤児の帰国の途が閉ざされた。

 (2)残留孤児が政府に帰国旅費の負担を求めようとする際,その支給申請は留守家族が残留孤児の戸籍謄本を提出して行うものとした措置
 この措置により,身元未判明孤児,留守家族の協力が得られない身元判明孤児は帰国旅費の支給を受けることができず,事実上,帰国することができない結果となった。

 (3)昭和61年10月以降,身元判明孤児について,留守家族の身元保証に代わる招へい理由書の提出,特別身元引受人による身元保証といった,入管法が求めているわけでもない手続の履践を求める措置

 4 原告らのうち17名は,上記3(1)ないし(2)の違法な措置(本件帰国制限)により,永住帰国の遅延を余儀なくされた。
 ただし,本件帰国制限は,継続的な違法行為であり,これによる損害も日々生じるものであるから,本件訴訟提起の日において既に20年が経過している時期に関する国家賠償賞任は,除斥期間の経過によって法律上当然に消滅した。

 5 本件帰国制限以外に,早期帰国支援義務の存否や懈怠の有無を検討するということは,もし政府が速やかに消息調査と帰国支援のための政策を実施していれば,原告らが,実際の永住帰国よりどの程度早く永住帰国することができたのかを問うことである。
 ところが,原告ら個々人について,どの時期にどのような措置が可能であり,その措置によりどの程度早く帰国できたかを認定することは,極めて困難であり,その点の事実認定ができない以上,原告ら個々人との関係での早期帰国支援義務の存在やその懈怠の有無というものを論じることは不可能である。