金賢姫の手紙 (3)

その当時、私はその場に明確にいました。花を渡す少女として出席したという私の陳述が先にあり、それを土台にして2次的に捜査官らが写真を探してきました。 その後、日本で私の陳述を後押しする写真が出てきて報道されましたが、彼らはその写真を絶対に写しませんでした。むしろ「鄭ヒソン」という北朝鮮女性が出てくる朝鮮総連の撮影資料を詳細に放映しました。

五つ目、放送各社は事件疑惑提起をしつつ、事件関連国の日本、米国、北朝鮮などに対して外交的問題が発生する素地がある事項は取材、放送しなかったのです。

彼らは私が招待所で日本語教育を受ける時、共に生活した「李恩恵」に対してはそろって口を閉じて無視しました。私が述べた李恩恵先生が「田口八重子」と同じ人物であることを日本警視庁が明らかにしたので、彼らが同じ人物でないと疑惑を提起する番組にしたならば外交的問題で挑戦受ける可能性が大きいと思われます。

それから、彼らは捜査発表後、直ちに北朝鮮をテロ支援国として指定した米国に対して非難したり問題を提起する番組としなかったのです。彼らは米国と日本の介入を恐れたと思われます。

また、放送各社はKAL機事件が北朝鮮の仕業にもかかわらず、工作員である私に対して否定的に対応しながら、反対に北朝鮮当局には刺激をしないように用心深く対応するという二重的態度を堅持しました。 はなはだしきは、KBS柳ジヨル担当プロディーサーは「金賢姫平壌を出発しなかった」とまで主張しました。彼は私の偽造旅券を偽造していました。これを通じて、彼らの放送意図をある程度知ることが出来ました。

最後の問題点は放送各社がKAL機事件ねつ造疑惑を提起するにあたり事実と違うとだけ主張したのみで、実体的真実には全く接近しなかったということです。

彼らは彼らの番組の題名とかけ離れた話をしました。彼らは「金賢姫は誰か」と熱心に海外を戦々恐々としながら私の行程を追跡、取材しながらも、何の結論を下すことができませんでした。彼らは私を外界人の水準にしてしまいました。 私はその点がミステリーでした。そうすると、KBSは2005年新年特集で解放60年「10大ミステリー事件」項目でKAL機爆破事件が3位を占めたと自ら発表するに至りました。

  • 「前衛」組織と嘆願書提出

MBCがKAL機事件ねつ造疑惑を放送して四日後の2003年11月22日頃、国家情報院捜査局長など5人は小説「背後」(KAL機事件ねつ造説を主張し、各社のテレビ番組に強い影響を与えた本・訳註)の著者、徐ヒョンピルと「蒼海」出版の全ヒョンベを相手に出版物による名誉毀損容疑で民・刑事告訴をしました。

その年12月上旬頃にはマスコミで、私が身辺露出を敬遠して家族と共に突然潜伏したという記事が報道されました。

その年12月中旬頃、このうわさをのがさないように「KAL機家族会(会長・車オクチョン)」と「KAL機事件真相究明市民対策委員会(委員長・金ビョンサン神父)」が「最近突然消えた元北朝鮮工作員金賢姫氏を29万ウォンに懸賞手配する」と言ってデモとともに手配ビラをばらまいてまわりました。

また、これらの団体は全斗煥前大統領の自宅前、ハンナラ党とヨルリンウリ党本部前、国会、検察庁仁川国際空港KAL事務室、国家情報院の前などでデモと記者会見、セミナーなどを行って、事件ねつ造疑惑を提起して様々な場所で活発な行動を展開してきました。

KAL機事件ねつ造説がマスコミなどでかつてないほど広がる中、「背後」(徐ヒョンピル著、蒼海出版)、「KAL858、崩れた捜査発表」(申ドンジン著、蒼海出版)、「私は検証する、金賢姫破壊工作」(野田峯雄著、蒼海出版)などの本がこの時期にあふれ出ました。

この一連の事件は互いに関連がないようにも見えますが、KAL機陰謀説を中心にして様々な形態で展開してきたのです。そして不思議にも上記「対策委」に所属した者たちによって事件が起こされてきました。 訴訟、著作、出版、デモ、記者会見など一連の事件には「対策委」所属の人たちが常に含まれていることが明らかになりました。
彼らはいわゆる国家情報院の「前衛」組織でした。

「KAL機事件家族会」とは会長車オクチョンなど何人かの遺族と申ドンジン(家族会事務局長、作家、国家情報院過去史委員会調査官)などねつ造疑惑提起のために構成された組織で純粋な遺族会とは異なります。「対策委」は国家情報院という国家機関の後光を背負ってKAL機事件の真相を糾明しろと叫びながらも、実際はねつ造疑惑膨らませることを行う色々な団体が集まって結成された政治性向の市民団体です。

上記「対策委」はインターネット・サイトを運営して裁判所に事件関連情報公開請求をし、事件は韓国による自作劇で私はにせ物だと連日猛非難しています。彼らのサイトは非常に危険な水準なのに公安当局は放っておいています。

「KAL858、崩れた捜査発表」を書いた申ドンジンは「KAL家族会」,「対策委」事務局長として働き「国家情報院過去史委員会」調査官として3年間採用され勤務しましたが、この事実が国家情報院と「対策委」の関係を語ってくれているのです。

そして、国家情報院が訴訟請求した名誉毀損事件は互いに連係して成り立っています。 国家情報院が「対策委」の徐ヒョンピルと全ヒョンベを告訴したのは、検察と司法当局をだます行為だったのです。

私は最近(8月初め)検察と司法当局に手紙形式で嘆願書を提出しました。この事件は手続き法上何の瑕疵がないように見えるが、国家情報院が検察と司法当局の権威を失墜させて不当な公権力行使をした事件であるということを伝えさせていただきました。

この訴訟事件で被告人徐ヒョンピル(小説家)と全ヒョンベ(出版人)の他に弁護を引き受けた弁護士・沈載桓も上記「対策委」の委員です。それでこの訴訟事件はあまりにも計画的な事件であることが判明しました。

私の嘆願書提出のためなのか判決裁判が1か月ほど延期になって今年9月上旬、告発された件は無罪とされ国家情報院は敗訴しました。 被告人らに2年の求刑を求めた検察はこれを不服として9月中旬、控訴状を提出しました。 (ソウル中央地方法院2008ノ3194)

判決は「小説内容が真実でない疑惑を……して、内容や表現が捜査結果に反する点があっても、それだけで当時の捜査を担当した職員を誹謗したり名誉を毀損するために本を出したとは見ることはできない」として、被告人らに無罪を宣告しました。

判決文には私の嘆願書内容を参考とした痕跡は見当たりませんでしたが、無罪宣告は司法当局の名誉に傷を付けた事項に対して忍耐するという裁判所の意志表示にも見えました。

一方、私はこの訴訟事件を通じて、KAL機ねつ造説の陰謀が一定程度うわさとしてでも出てくれるように願いましたが、まだ静かなままなのを見ると、私の嘆願書提出の努力はあまり効力がなかったと感じます。私が国家情報院、検察、裁判所などの国家機関に私の真実の心を訴えたのが初めから誤った試みだったのでしょうか。

  • 「国家情報院の過去事件真相究明を通じての発展委員会」

国家情報院の「過去事発展委」(委員長・呉忠一)は最初に2005年2月上旬KAL858機爆破事件、金大中拉致事件など調査対象7件を選定、発表しました。

「発展委」はその時から2007年10月下旬、調査結果を発表して解散する前までの3年間、私に事件の当事者として調査を受けることを十数回も要求してきました。しかし、私は「発展委」の要求をすべて断りました。

私が彼らの調査要求を断った理由は、私が国家情報院と対立している状況で「発展委」に被調査者として出席することになれば国家情報院がその間犯す誤りに対して免罪符を与えることになり、「発展委」で彼らの政治的目的に符合した方向に事実をわい曲させたりまたは強圧的な陳述をしなければならない不幸な事態が発生することを心配したためです。

私は国家情報院が「背後」で自らの正道を超える公権力の乱用行為を決して黙過できませんでした。国家情報院は自身の内部に組織されている「発展委」を利用して、私を引っぱってきて調査する過程で、懐柔と脅迫をくり返したでしょう。実際にそのようなことが起きました。私は国家情報院によるそのような仕打ちを耐え抜くことが非常に苦痛で困難でした。

そして、「発展委」の呉忠一委員長をはじめとして安炳旭教授、韓洪九教授、朴容逸弁護士、李昌鎬教授など民間調査委員ら10人は大部分、情報機関による被害者であり、自分なりの歴史意識を持っている進歩指向の人物らで構成されていて、彼らの調査に応じること自体がKAL機事件の根本が毀損されそうで、調査に同意することはできなかったのです。

一方では、「発展委」がKAL機事件を調査対象として選定した以上、調査結果を発表しなければならないわけですが、私の調査なしで果たしてどのように発表するのか非常に気になりもしました。

歴史を自分の方式で裁断しようとする「発展委」の再調査結果もまた、歴史に残ることになるので、後日彼らも歴史の批判を受けることになるからです。

「発展委」は2006年8月初めKAL機事件調査の中間発表をして、その年の年末に結果を発表する予定だったが、翌年2007年10月初め南北首脳会談を終えて、10月下旬に調査結果を発表して解散しました。ところで、彼らは「金賢姫北朝鮮工作員だ」、「ムジゲ(虹)工作の文書が発見された」という程度の調査結果を発表しました。

彼らは事件当時の安企部指揮部と当事者である私、金賢姫の調査をせずに、結論を下しました。北朝鮮に対する謝罪勧告の一言もなく、そして無力な女一人も調査できない委員会でした。「発展委」の権威はそれにより地に落ちてしまいました。

ところで、呉忠一委員長は、KAL機事件を調査する核心は「金正日はやらなかったということを明らかにすることだ」と語った事実があります。そして、調査委員李昌鎬教授も結果の発表後、「金賢姫北朝鮮工作員だ」ということと「金正日が指示を与えた」ということは別個の事項であり、それは学界で定説になっていると言って、事件の実体を傷つけようとしました。

それなら彼らは、罪のない民間人の生命を奪い取った航空機テロ事件を誰が指示したのか自ら明らかにすべきでした。 そして、金正日を擁護しようとする理由についても説明すべきでした。

放送各社が、私が工作任務を与えられて北朝鮮を出発する前に朗読した「敵の背後に出発するときに誓った誓約文」をねつ造疑惑の基本項目に入れた理由がここにありました。

そして「ムジゲ(虹)工作」文書を公開した国家情報院の行動は本当に異常でした。
インターネット新聞の「統一ニュース」の要請によって、国家情報院が公開することになったとされました。国家情報院は「ムジゲ(虹)工作」文書の存在を知らない「統一ニュース」に文書を提供して公開させたとても親切な情報機関でした。そして、秘密に分類されていなかった工作文書が存在しているという事実が私としては本当に理解できません。

  • 「真実和解委員会」(真実・和解のための過去事整理委員会)」

2006年8月上旬頃、国家情報院「過去事発展委員会」が私を調査できないまま中間調査発表をした後、李昌鎬委員は法的権限がある「真実和解委員会」など色々な経路を通じて圧迫を加えてでも私を調査するといいました。

2006年11月中旬頃、KAL機家族会は「真実和解委」に再調査を申請したし、翌年の2007年7月中旬、「真実和解委」は事件調査の開始を決めました。