在日コリアン人権運動の理論構築について(1)

修士論文在日コリアン人権運動の理論構築について」
【目次】
はじめに
第1章 在日コリアン人権運動停滞の基本的要因
1.1 国籍取得特例法案と運動の停滞
1.2 新たな同化論「多文化共生論」と運動の停滞
第2章 私の生い立ちと民族差別撤廃運動
2.1 両親のこと
2.2 差別の洗礼
2.3 歪んだ民族観の形成
2.4 反差別への目覚め
2.5 部落解放運動との出会い
2.6 子ども会活動から民族差別撤廃運動へ
2.7 国籍条項撤廃と差別是正措置の実践
2.8 民闘連運動への参加と運動の拡大
2.9 部落解放同盟による組織介入とかく乱
第3章 祖国志向論から在日志向論へ―民族差別撤廃運動の誕生―
3.1 抑制された民族差別撤廃運動
3.2 仕組まれた祖国志向
3.3 祖国に従属した既成組織の権益運動の実相
3.4 祖国志向論の試みとしての北朝鮮帰国運動
3.5 日韓法的地位協定への失望
3.6 民闘連運動の結成とその意義
3.7 2国間外交から国際的枠組みへ
第4章 在日コリアン人権運動の停滞要因
4.1 参政権運動と日本国籍
4.2 日本国籍取得論の経緯
4.3 日本国籍と運動の未来
4.4 国籍取得特例法案反対論の検証
4.5 日本国籍取得論議の基準
4.6 在日朝鮮人日本国籍を取得する意義
ア.生きる権利は国籍に優先する
イ.普遍的原理としての国家・国籍選択
ウ.奴隷状態からの解放
エ.在日朝鮮人アイデンティティと人権を獲得する機能としての日本国籍
オ.少数派国民(コリア系日本人)として生きる
第5章 多元化民主主義か多文化共生か
5.1 問題意識
5.2 多文化共生論の登場
5.3 他のマイノリティにも浸透する共生
5.4 多文化共生の背景と本質
第6章 具体的課題
6.1 運動体の財政確保―企業からの資金提供について―
6.2 専従者の給与及び待遇について
6.3 マイノリティ運動の横の連携の可能性
結論
参考文献
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はじめに
 私は高校生のころから民族差別撤廃運動に参加し、今日まで闘いを継続してきた。在日コリアンの民族差別撤廃運動のリーダー的運動である民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)では、事務局長を務め、民闘連の組織を引き継いだ在日コリアン人権協会の会長も経験した。
 1970年代から開始した民族差別撤廃運動の中で、私は常に最前線に立ち、数多くの国籍条項を撤廃し、また在日コリアンの教育指針や無年金者の代替制度の創設等も実現した。企業や行政の差別とも数多く闘い、在日コリアンの雇用、啓発に道を開いてきた。啓発事業では社団法人を設立し、また在日コリアンの中小企業組織も結成した。 運動も関連する事業も順調に発展し、いつまでもこの状態が続くものと自負していた。ところが、1990年代後半から運動は停滞状況に入り、組織問題も頻発した。取り組むべき課題は山積していたが、これをこなす力量は低下するばかりだった。運動の中心を担ってきた私の力不足なのか、私の個性なのか、果たして何が変わったのか、私も周囲も仲間も困惑するばかりだった。
 しかし、ヒントだけは見出せた。私が変わったのではなく、この日本社会が変わったのだ。1970年から1980年代まではマスコミは、私たちの民族差別撤廃運動を積極的に報道した。闘いは、世論が後押してくれるとの確かな手ごたえがあった。高校生のころからかかわってきた、部落解放同盟大阪府連合会の友人たちはいつも熱いエールを送ってくれた。労働組合との連携もできた。しかし、これら全てが打って変わったように、私たちから静かに、そして確実に離れていった。部落解放同盟大阪府連合会にいたっては、私たちに組織的なかく乱と介入さえ仕掛けてきた。
 注意深く観察すると、離れていったのは私たちからだけでなく、闘いそのものからであった。誰もこの矛盾だらけの世の中に抗議しなくなり、いくら苦しくとも「シカタガナイ」と我慢して、争わず調和を保っている。格差社会といわれて久しいが、ワーキングプアニートも、元凶である企業や行政には抗議のひとつもせず、ただ静かにネットカフェで佇んでいる。
 この流れと比例するかのように多文化共生という言葉が、日本社会を瞬く間に席巻した。それは私たち運動体の中にまで侵入し、闘う体力を確実に減退させてきた。この多文化共生とは何者なのか。大企業も政府も運動体も皆が手をつないで叫ぶ多文化共生。この新種のウィルスを解明し、対処しなければ民族差別撤廃運動再生の道を切り開くことはできないと考える。
 同じ時期、在日コリアン日本国籍取得特例法案が与党から発表された。それまで盛り上がっていた参政権運動は、一挙にしぼんでいった。「私たちも住民です」と訴えていたのに、この国の主権者になれる道が目前に示された時、多くの在日コリアン団体はひるみ、色を失ったのである。
 多文化共生論、日本国籍取得論こそ在日コリアン人権運動の停滞におちいったつまずきの石である。本研究の目的はこれら二つの「論」の本質を論理的に解明し、もって在日コリアン人権運動再生への手がかりを確保することにある。同時に本研究では、在日コリアン人権運動に組織的に介入し、かく乱し、運動の停滞に拍車をかけた部落解放同盟の変質を多文化共生論を批判する文脈で明らかにする。